銃乱射事件の被害者家族と加害者家族の未来は… 映画『対峙』
僕はきっと〝親〟にならないので
その喜びも苦悩も得られないのでしょう。
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見応えありました。
2時間あっと言う間でした。
花が良かったですね。
あの花のある場所が話が進むにつれて変化していく。
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銃乱射事件の被害者の両親と加害者の両親が〝対峙〟する映画。
2時間中1時間以上はこの4人がテーブルに座って話をしている。
大量殺人を犯した息子も死んでいるので、
子供が若くして死んだという共通点でこの4人は結びついているはずだけど
殺した側と殺された側とで強烈に分離している(そりゃそうだ)。
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正直2時間では足りなかった。
2時間で盛り上がって、
時にほんわかした瞬間もあり、
そして何らかの着地点へ向かいつつも、
何回か破綻し、
それでもやはりある方向へと向かう、
という構造に則ってしまっているので
社会性を求められている人間が
〝子どもが殺人事件に巻き込まれる〟という
100パー無理な状況に押し込められた時に
抑えきれずに出てくる〝野生性〟よりも
〝映画を成立させる構造〟の方が勝ってしまっていた。
映画なんだからしょうがないんだけど、、
映画なんかの言うこと聞いてられないくらいの爆発があるのでは?と思ってしまう。
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結局は
社会(つまり映画)の構造の中で生きるしかない人間(この2組の両親)が、あるひとつの方向へと向かう話なので
テーマと構造が合ってはいるんだけど。