動物たちが人間化!???『ドクター・ドリトル 狂闘地獄曼荼羅編』 〜映画感想〜
新世界国際劇場にて
知る人ぞ知る新世界国際劇場にて観てきました。
昔懐かしい手書きポスターが話題になることが多い映画館です。
(まぁこの映画館のホントの個性はもっとディープですが、、)
今回『ドクター・ドリトル』を観ましたが、
タイトルは『ドクター・ドリトル狂闘地獄曼荼羅編』となっていました。
普通の『ドクター・ドリトル』を観てないんですが
たぶん『狂闘地獄曼荼羅編』も同じ内容だと思うので
『ドクター・ドリトル』として感想書きますね。
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狂闘地獄曼荼羅編
狂って闘う地獄ってはちょっと言い過ぎかなと思うんですが、、
〝曼荼羅〟ってのはこの映画のたしかに確信をついたものかと思います。
曼荼羅ってのは、
主となる存在を中心として同心円的(正方形の場合ありますが)に主じゃないものが配置されるという、
宗教画です。
この映画でいうと、
主たる存在ってのは「人間」。
その周りに主じゃないものとして「動物たち」が配置されている、
ということです。
ドリトル先生は動物の言葉がわかる人
聞き取れるし自分も話せる。
実際はガウガウやキーキーと発音しているようですが、
ドリトル先生(人間)の視点で
ドリトル先生も動物も人間の言葉を話しているという絵面になっています。
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猿の言葉、オウムの言葉も別の言語のようなのです。
動物は種類によって言葉が通じない。
(猿の言葉では○○、オウムの言葉では□□みたいなセリフもあるので)
この映画では
ドリトル先生が動物の言葉がわかるというだけの設定のはすですが、
なぜか言語が違うはずの種類の違う動物同士も会話ができています。
動物が人間化
で、1番の謎と問題点は、
動物が人間化してることです。
単に言葉がわかるだけの設定なのに
動物と会話できると途端に動物たちは人間化します。
白熊が人間のように日光浴したりします。
そして
人間にとって便利に活躍してくれるし、
人間にちょうどいいスリルを与えてくれるし
人間に説教もしてくれるし
人間に最高の感動をくれる。
どうなのよ。
言葉がわかるってだけですよ。。。
なんで突然野生性を失って人間化しちゃうのさ。
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ドリトル先生が動物たちの怪我治して動物たちが感謝して仲良くなるってことかもしれないけど
いちいち人間化させることないでしょうよ。
例えばオウムなら感謝して「ありがとう!」っつってジャングルにバサバサと飛んでいくでしょうよ。
それが動物とのお付き合いじゃん。
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ペット化や家畜化じゃなくて、人間化しちゃうんよね。。
同化させちゃってんのよ。。
それぞれの動物の歴史や文化関係なく、
人間にとって不都合な個性は消して
人間にとってちょうどいい個性は残して
人間化させて、、
それを「仲間」みたいな感じでユートピアとして描いてるわけでしょ。。。。
全然ユートピアじゃないよ!同化政策じゃん!
狂闘地獄曼荼羅だよ!良いタイトル!