叱られたくない
世の中では「『叱る』と『怒る』は違います!教育として適切に叱ることは必要です」と言われることもよくありますし、あまりにも叱られないと逆に「叱られたい願望」を持つ人もいます。
私は「なるべく叱られたくない派」なので「叱ってほしい」という気持ちはどうもわかりませんし、子どもの頃から誰かに叱られると「普通に言ってくれればわかるのになあ」と思っていました。
もちろん、私が何か間違ったことをしていたら、ぜひ指摘していただきたくはあるのですが、その場合「叱る」という伝達方法でなくてもよいと思うのです。
「叱る」を定義すると「相手の問題行動を指摘する際、なんらかの感情に訴えるような付帯情報を使うこと」になります。
たとえば飼い猫が食卓に乗るのを阻止したいとき「あなたの足裏に付着した病原菌が食品を通じて私たちの口に入って感染症を引き起こすおそれがあり」云々と言い聞かせても通じないので、「こらっ!」などの怖い声や怖い顔、場合によっては首根っこをガッとつかむなどの不快な思いをさせることで教えるのは「叱る」と言えます。
逆に言えば、叱る必要があるのは理屈の通じない動物か幼児だけということになります。
たとえば私が危険な場所をヘルメット着用せずに歩いていたとして、「バカッ!危ねえだろうが!」と怒鳴られるより「ここは上から物が落ちてくる可能性があるのでヘルメットを必ず着用してください。過去に死んだ人もいます」と普通に言われたほうが効果はありそうです。
叱っていただいてもいいのですが、私の記憶力では叱られたことのインパクトで容量がいっぱいになってしまい、「叱られたことは覚えてるけど、はて、なんでだっけ?」となりかねません。
よく昔の青春ドラマで熱血教師が「馬鹿野郎!」とか叫びながら生徒を殴るとなぜか相手がハッと目を覚まし「うう…先生、悪かったよ…オレ…」とか言いだすシーンがありましたが、何度観ても謎でした(現実世界にそんな現象があるのかわかりませんが)。
ましていい大人を叱るのは、相手に理屈が通じるだけの知能がないとみなしているわけで、かなり失礼です。
感情的な表現がいけないわけではありません。でもそれは「相手が間違っていることを伝える」ためではなく「自分が怒っていることを伝える」ためにやるべきで、その場合は怒鳴ったり睨んだり泣いたりして、情緒豊かに表現してもいいのです。その意味ではむしろ「叱る」より「怒る」ことが必要な場面もあります。
間違いを指摘するというのは「自分が持っている情報を持っていない相手に渡す」ということなので、ただ知ってるか知らないかの違いであってどちらが偉いというものでもないですし、いちばん効果的な方法を使えばいいことだと思います。