大学でのリーグ戦出場は0、未完の大器 今津辰吾が独立リーグで再起を誓う
ワイラプインターンの松浦です。
先日からスタートした選手インタビュー企画、名付けて「#ワイラプ博物館」の第12回の記事執筆を担当させていただきます。
この連載では、博物館のように選手一人一人の歴史が分かる場になればと思います。そして読者の皆様は、この博物館でぜひ選手の魅力を発掘してください!
本日は 今津辰吾 選手のインタビューです。
今津辰吾(いまづ しんご) 北海道出身 1997年4月12日生まれ
忠和中学校(旭川中央ベースボールクラブ)▷旭川明成高校▷星槎道都大学
―今津選手、本日はよろしくお願いします。
今津(以下、今):はい、よろしくお願いします。
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■野球をやっていなかったのに夢は「メジャーリーガー」
―野球を始めたきっかけは何でしたか?
今:4つ上の兄が野球をやっていて、1年生になった時に母親と野球場に兄の応援に行きました。それが野球を始めたきっかけです。
―なるほど、自分から進んでというわけではなかったということですね。
今津:もともとはサッカーがやりたかったんです(笑)
でも保育園の卒園式では、なぜか「将来はメジャーリーガーになる」と言っていたらしいです(笑)
―そのときは野球をやっていなかったのになぜ…(笑) 試合にはいつ頃から出ていましたか?
今:4年生の試合に、2年生の時から出ていました。上手ではなかったですが、肩だけはめちゃくちゃ強かったですね。
―大会の成績などはどうでしたか?
今:全道大会(北海道の全地区が集まる大会)に出たことはありますが、全国などには出ていませんね。
(写真は本人提供。小学生時代)
―中学はどこに進まれたのでしょうか?
今:中学は硬式のポニーリーグのチームに進みました。
―なるほど…なぜポニーリーグに進まれたんですか?
今:兄がポニーリーグのチームにいたんです。それが決め手でした。
硬式球が怖いっていう感情は全くなかったです。試合には1年の時から出ていましたね。
―それはすごいですね!中学時代の思い出はありますか?
今:1年の時に全国に出たんですけど、相手チームが沖縄県のチームでピッチャーの球がめちゃくちゃ速かったんですよ。
多分アレは135キロくらい出てましたね。それで9回途中まで1-6の完敗ペースでした。
―それだけ点差が離れてると厳しいですよね?
今:それが9回にそのピッチャーが変わって、7-6のサヨナラ勝ちで勝ちました。
結果的には全国3位になったのは良い思い出ですね!
―全国に行くぐらいということは、かなり練習は厳しかったのでは?
今:とにかくきつかったです。高校の100倍きつかったです(笑)
特に個人ノックが恐怖でしたね。10メートルくらいの距離でカゴ3箱分の量を受けて…「とんでもないところに来てしまった」って思いましたね(笑)
けどおかげで守備や体力はかなり鍛えられましたし、高校の練習も楽に感じられました。
(中学時代。全国大会でのマウンド)
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■挫折後に芽生えたキャプテンの自覚
―高校は旭川明成ですが決め手は何だったんですか?
今:決め手は帽子でした(笑)
―帽子ですか?(笑)
今:当時、明豊高校(大分県)の今宮選手(現ソフトバンクホーク)にすごく憧れてたんです。
それで、今宮選手は帽子のツバをめっちゃ折り曲げてて「俺も同じようにツバ折り曲げたい」って思って旭川明成に決めました(笑)
―では入ってからは思い切り折り曲げて?(笑)
今:それが入学と同時に、いわゆる丸帽になっちゃってその夢は叶いませんでした(笑)
―残念過ぎます(笑) では旭川明成高校時代について帽子以外の情報も教えてください(笑)
今:部員は50~60人くらいだったと思います。ショートとして入部したんですけど、最初はサードを守っていました。
1年の春は肉離れで試合には出られませんでしたが、夏にはベンチ入りをして秋からはスタメンで出ていました。
―1年からスタメンで出ていたということは、2年生以降も主力として戦っていったわけですよね?
今:はい、ただ2年生の夏は北北海道大会1回戦負けでした。この試合は今でも忘れられません。
―何か強い思い出が?
今:この試合で暴投をしてしまったんです。試合の終盤、1点負けてはいたんですがチームが追い上げムードの中「いけるぞ!」という雰囲気でした。
しかし自分のエラーで一気に引き離され、もう頭が真っ白になりました。その後どうやって試合が終了したかも記憶にありません。
―それほど悔しかったということですね。最高学年になってからはどうでしたか?
今:新チームになり、ショートでキャプテンになりました。
―キャプテンだったんですね!やはり「やってやるぞ」という思いがやはり強かったですか?
今:そう思えたらよかったですけど実際は逆でした。先輩が辞めてからは、なかなかモチベーションが上がらず腐りかけていました。
―そうだったんですね。最後の夏は結果的にどうでしたか?
今:夏は旭川の支部大会決勝で敗れました。悔しいという思いはめちゃくちゃありました。
確かに最初はモチベーションが下がっていましたが、周りが本気で甲子園を目指して練習している姿を見た時に「キャプテンとして周りを引っ張らなきゃいけないのに腐ってたらだめだ」という思いが芽生えてきて…。
そこから今まで以上に真剣に練習に取り組むようになっていたので「もう終わるんだ…」という感じでした。
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■苦しみ続けた大学4年間
―次に大学時代の話を伺っていこうと思います。星槎道都大学に進まれた理由は何でしたか?
今:北海道の大学で一番強かったからです。また、兄の友人が星槎道都大学にいて、色々と話を聞けたというご縁もありました。
―大学野球はどうでしたか?
今:ただただもがき続けた4年間でした。
打撃フォームが一度ぐちゃぐちゃになってからはずっとダメでしたね…
―それはいつ頃でしたか?
今:1年の冬です。その時期に野球理論にハマってしまって、今まで感覚でフォームを作っていたのに考えて構えるようなったんです。
―理論を学ぶことは一見いいことだと思いますが違ったわけですね。
今:打席の中でも全然しっくりこなくて一球ごとにフォームが変わっていました。
3年になってからはリーグ戦直前まではレギュラーを張っていた時期もあって「いけるぞ」という気持ちにもなったんですが、好不調の波が激しかったんですよね。
結局4年間で一度もリーグ戦の打席に立つことはなく、僕の大学生活は終わりました。
(大学時代。自分の求めている打撃ができずに苦しんだ)
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■諦めずに見据え続けるNPBという1点の目標
―大学では結果を残せなかったわけですが、野球を続けたい思いは強かったのでしょうか?
今:強かったですね。初めは社会人に行きたい気持ちもありましたが、BCリーグは野球にとことん集中できる環境だったので目指すようになりました。
―独立リーグのチームに入団してみてどうでしたか?
今:他球団との比較はできませんが、独立リーグというより、福井という球団がすごく良いチームでやりやすいです。
―具体的にはどのあたりが?
今:すごくのびのびとした環境でやれるチームですね。自主練習の時間が多いのでNPBに行くために自分の足りない部分を徹底的に練習しています。
―やはりNPBに行くというのが今の一番の目標ですか?
今:はい、野球を始めてからはずっと「NPBに行く」という気持ちでやっています。
ぜひのびのびと野球をやっている姿をファンの皆さんには見て欲しいですね!
―それでは、本日はありがとうございました。
今津選手がNPBの舞台で活躍する姿を楽しみにしています!
(先日のオープン戦では左中間へのホームラン、今季の大爆発に期待!)
(文責:球団インターン 松浦宙夢)
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