10年目エースの決意表明
皆様はじめまして!
ワイラプインターンの松浦拓矢と申します。
本日からスタートする選手インタビュー企画、名付けて「#ワイラプ博物館」の第1回目の記事執筆を担当させていただきます!
このnote連載では、博物館のように選手一人一人の歴史が分かる場になればと思います。
そして読者の皆様は、この博物館でぜひ選手の魅力を発掘してください!
本日は、濵田俊之 (はまだ としゆき)選手のインタビューです。
濵田俊之(はまだとしゆき) 神奈川県茅ヶ崎市出身 1992年7月2日生まれ
松林中学校▷川崎北高校▷愛媛(四国IL)▷兵庫(関西)▷信濃(BCL)▷福井
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■5軍から這い上がったサイドスロー
-本日は、独立リーグ10年目の大ベテラン、濵田俊之選手にお話を聞いていきます!
濵田選手、よろしくお願いします!
濵田(以下、濵):よろしくお願いします!
―では早速、濵田選手が野球を始めたきっかけを教えてください!
濵:4歳から始めました、なかなか早いですよね(笑)
5個上の兄の練習を見に行って、そのまま練習に参加するようになりました。周りにもそんな小さい子はいませんでしたね。
始めたての頃は試合中にも関わらず、外野で砂いじりをしていました(笑)
(写真は本人提供 バットを持つ手が逆な気が…笑)
-なんとかわいいエピソード(笑)
学年が上がっていくにつれて試合にも出るようになったかと思いますが、当時からピッチャーだったんですか?
濵:いえ、キャッチャーでした!
これには訳がありまして…、、実は僕の球を捕れるキャッチャーがいなかったんですよ…!
-いや、どんな球!(笑) まるでアニメの話ですね!
では、ピッチャーはいつから始められましたか?
濵:ピッチャーを始めたのは中学時代からですね!
最高成績は県3位でした。約400校近くある激戦区・神奈川で勝ち抜くことができました。
-それだけ輝かしい成績だったら強豪私立高校からの誘いもあったと思います。
そんな中で公立の川崎北高校に進んだのはどういった経緯だったんでしょうか?
濵:高校野球を見に行った際に、川崎北高校は強豪の私学を次々と撃破していました。
実は当時の監督さんはかなりの凄腕で、中学の軟式野球を指導していたときには、赴任先の学校を次々と全国に導く“名将”でした。この人のもとでやりたい!と進学を決めました。
-なるほど〜!
それでは、川崎北高校について詳しく教えてください! 部員数、思い出、濵田選手の成績などなど…
濵:公立ながら野球部は約120人もいました。衝撃だったのは1軍から5軍まであったことですね。
かなり厳しい環境でしたが、1年生の秋からベンチ入りを果たし、2年生の秋からエースになることができました。意外かも知れませんが、1年生の冬からサイドスローに変えました。
-そうだったんですか!
投げ方を変えたことで球速の変化などはありましたか?
濵:中学時には130㎞/hほど出ていましたが、サイドスローにしたことで当初は118km/hまで落ちてしまいました(3年時には138km/hまで球速を伸ばすことに成功)。
しかし、部員は120人。勝ち抜くための手段として決断しました。決して甘い世界ではないため、1軍から2軍に落ちることも…。
その度に自分に鞭を打ち、練習を工夫することで乗り越えてきました。
-厳しい環境だったんですね…。
濵田選手は神奈川県茅ヶ崎市出身ということは川崎市は遠いですよね? 寮生活でしたか?
濵:いえ、実家から通っていました。
けどかなり遠くて、通学時間は片道約2時間。朝5時に起き、帰宅するのは深夜1時…。睡眠時間は平均すると4時間ほどでした。
-ハードすぎる…。その生活をサボらずに3年間続けられるのは素晴らしいです…。
濵:インフルエンザで1週間休んだこと以外、3年間一度も休まずにこの生活を続けました。これは両親との約束でしたし。けどやっぱり大変ではありましたね…。
このときしっかりと睡眠時間をとっていればもっと身長も伸びたかも…(笑)
(※濵田選手の身長は175㎝)
(川崎北高校時の濱田選手。独特のサインの覗き方!笑)
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■新たな刺激を求め続けた独立リーグ人生 前編
-それでは次に独立リーグについて聞かせてください。濵田選手はここからが濃密かとは思いますが…(笑)。
まず独立リーグに進んだきっかけを教えてください。
濵:高校卒業後の進路については、アメリカ留学の誘いなどもあり、国内での大学進学も含めて複数の選択肢がありました。けど「元NPBの方に教わりたい!」という思いが強かったですね。
そして、ご縁があって四国ILの愛媛マンダリングパイレーツ(愛媛MP)のトライアウトを受け、合格することができました。
-濵田選手の独立リーグ人生が愛媛からスタートしたわけですね。
高校野球から独立リーグへと大きく環境が変わった中で、なにかギャップがありましたか?
濵:周りの投手の球速に驚きましたね。
「この人たちに追いつかなければ…!」と球速を求めていると、腕が自然に上がっていきました。気づいたらサイドスロー卒業です(笑)
そして球速が上がり、フェニックスリーグ(四国ILの選抜チーム)にも選出していただきました。
けど当時は中継ぎや抑え中心で、本当は先発がしたかったんです…。2シーズンを終えたタイミングで新天地を求め、関西独立リーグの兵庫ブルーサンダース(兵庫BS)に移籍することになりました。
(愛媛MP時代)
-では、続いて兵庫BS時代のお話もお聞かせください。もしかして兵庫ということは…?
濵:(現福井ワイルドラプターズ球団社長の、)小松原鉄平さんとはチームメイトでした(笑) 世間って狭いですよね(笑) こうしてまた一緒にいるのは不思議なご縁です。
兵庫BSは、自主練習がメインでした。高校時代に培った“工夫する練習”が実を結び、球速を145km/hまで上げることができました。
けどアルバイトを掛け持ちする生活や、試合後にそのままアルバイトという生活はハードでしたね…。
とても良い経験ができましたが、2年の在籍後にBCリーグの信濃グランセローズ(信濃GS)にトライアウトで移籍することを決めました。
(兵庫BS時代)
-ついに話はBCリーグに!はじめは信濃だったんですね。信濃での思い出はどんなものがありますか?
濵:暗黒時代でしたね(笑) 投げては打たれを繰り返し、まったく結果を残せませんでした。
このままではいけない。自分を変えたい。と心機一転、新天地を求め、福井ミラクルエレファンツ(福井ME)に移籍しました。
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■福井で急成長を遂げた独立リーグ人生 後編
-今の濵田選手を見ていると考えられませんが、そんな辛い時期もあったんですね…。
福井でどのように立ち直ったんでしょうか…?
濵:大きな出会いがありましたね。当時の福井MEの吉竹春樹監督(当時)と壮勝雄コーチ(当時)です。
吉竹監督にはメンタルを、壮コーチにはピッチングフォームを指導していただきました。
すごく印象に残っているのはキャンプ初日です。
監督が「ブルペン入る人?」と聞きましたが、初日な上に気温も低かったので、誰も手をあげなかったんですよね。すると、吉竹監督は「NPBは2月からブルペン入りしてるぞ!」と大激怒しました。
そのように常にNPB目線で指導してくれる方々の影響により、かなり気持ちの面で成長することができたと思います。
-独立リーグ10年目、福井に来て5年目。これまで数えきれないほどの登板があったかと思いますが特に印象に残っている試合はありますか?
濵:2018年のチャンピオンシップ(CS)での群馬DP戦です。それまで福井MEはCSでは一度も勝利できていなかったんですが、大切な先発マウンドを託していただきました。
苦しい場面が続きましたが、約140球の完投勝利を収めることができました。(2本の本塁打を浴びるも、4-3で勝利)。
-当時の(今もですが…) 超重量 群馬打線を完投は凄すぎます…。このときの好投の要因は何が考えられますか?
濵:このときにバッテリーを組んでいたのが、現・阪神タイガースの片山雄哉捕手でした。
片山とは3年間バッテリーを組みましたが数え切れないほど喧嘩しました(笑)。
けど喧嘩するたびに不思議と呼吸が合ってくるんですよ。投げたい球種やコースを常に要求してきて、最後にはほぼ首を振らなくなりました。
その呼吸が1番合っていたのが先ほど述べた群馬DP戦でしたね。年齢は違いましたが、全力でぶつかり合える関係性がとても嬉しかったです。
(福井ME時代 写真左が、片山雄哉 捕手)
-勝利のために全力で意見を交わせるのは素晴らしいですね。
少し聞きづらいですが、その点だと現在バッテリーを組んでいる坂本竜三郎選手はいかがですか…?
濵:坂本はまだまだです!(笑)
片山以上に坂本とは年齢差がありますが(濵田選手は今年で28歳、坂本選手は20歳)、そんなものは関係なく、片山のようにどんどんぶつかりにきて欲しいです。
やっぱり若手に成長してほしいし、そのためにはたくさんぶつかり合って、お互いに成長していきたいですね。
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■終わりに
-濵田選手のこれまでの歩みと、熱い思いを知ることができました!
話の軸を過去から未来に移したいのですが、今年に懸ける想いと、このコロナ禍についての率直なご意見をお聞きしたいです。
濵:年齢的にラストチャンスだという気持ちが強くなってきています。そのため、投げる機会のない今季は、本当に悔しいですね…。けど下を向いてばかりではいられません。ラストチャンスを意識するようになってからは、引退後の過ごし方も考えるようになりましたね。
-現役のうちから次のキャリアをデザインすることは重要だと思います。
具体的なビジョンなどはすでにあるんでしょうか?
濵:野球の指導者には興味がありますね。
そのため、今はチームメイトの指導や、読書での勉強をしています。けど複雑な動作を教えることってすごく難しくて…。
今はいろいろな人を観察することで、様々なことを吸収しています。
-最後にファンの皆様へのメッセージをお願いします!
濵:独立リーグの魅力は「選手とファンの距離が近い」ことです。
特に福井のファンの方々は、いつもあたたかい言葉をかけてくれ、球場外でも声をかけてくれたりします。球場外でばったり会うのは少し恥ずかしいですがすごく嬉しいですね。
BCリーグはファンに夢を与える場所だけど、福井では逆に自分もすごく勇気づけられる。だからこそ福井で5年間もプレーできています。
これからも温かい応援をお願いします!
-濵田選手、ありがとうございました!
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(編集後記)
以上、濵田俊之 投手のインタビューでした。
初めはどんな人なんだろう?と思っていましたが、YouTubeで濵田選手の動画を見たり、実際に話したりしてみると、とても優しい人で、とても応援したくなりました!
皆さんも濵田選手の動画を見たり、実際に観戦しに行ったりして、濵田選手の沼にはまっていってください!(笑) 長々と書いてしまいましたが…最後まで読んでいただきありがとうございました。
(文責:球団インターン 松浦拓矢)
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