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ドラフト1位に投げ勝った公立校出身の藤本王将が迎える、福井での集大成

ワイラプインターンの泉です!

選手インタビュー企画「#ワイラプ博物館」の第8回目の記事執筆を担当させていただきます。

この連載では、博物館のように選手一人一人の歴史がわかる場になればと思います。そして読者の皆様は、ぜひ選手の魅力を発掘してください!

本日は、藤本王将 選手のインタビューです。

藤本王将(ふじもとおうしょう) 熊本県球磨郡出身 1996年6月4日生まれ
湯前中学校▷人吉高校▷東亜大学▷熊本ゴールデンラークス

―本日は異色の経歴を持つ藤本選手にお話していきたいと思います。よろしくお願いいたします!

藤本選手(以下、藤):よろしくお願いいたします!

■向かうところ敵無しの小・中学生時代

―まずお聞きしたいのは「王将」という珍しい名前ですよね(笑)名前の由来などはご存じですか?

藤:僕の家は近所では有名な家系で、「あの家に子供が生まれるらしいぞ」って評判になっていたらしいです。誰にも好かれるようにと兄は「大将」になりました(笑)

―街の人に期待されて命名されるって(笑)すごいですね。そして弟の藤本選手は?

藤:僕は「大将の次は王将しかないでしょ!」ってノリで付けられました(笑)

―いやいや(笑)もっと他に大将の次あるでしょ!(笑)

藤:ですよね(笑)でもすぐに周りの人は下の名前でよんでくれるようになるので、とても親しみやすい名前かなと思ってます。

(写真左。3歳の藤本選手)

―確かに呼びやすいです!(笑)
では前置きが長くなりましたが、藤本選手の野球人生を振り返っていただきたいと思います。野球は何歳ごろからやられていたんですか?

藤:小学生の時は、2年生から柔道をしていたんですよね。基本的に運動神経は良かった方で、柔道でもメダルをたくさん獲っていました(笑)


―すごい身体能力ですね!では野球はいつから?

藤:野球をやっていた2つ上の兄と、ある日キャッチボールをしていました。すると、家族から「王将、センスあるよ!」と言われ、3年生ぐらいから始めました。


―もともとセンスがあったんですね!ポジションはどこを守られていたんですか?

藤:捕手で4番でした。投手をしたかったのですが、当時130キロ投げるエースがいて諦めました(笑)


―130キロ⁉ 敵なしじゃないですか(笑)

藤:そうですね(笑)。九州大会や色々なトーナメントで優勝していました。エースのおかげです(笑)


―では中学は推薦ですか?

藤:推薦のようなものも来ていたんですが、両親の「地元で育ってほしい」という気持ちから地元の中学で部活をしていました。
少年野球のチームメイトほとんどが同じ中学に入学しました。


―おー!黄金期のメンバーですね!

藤:自分たちの代では4大会ぐらい優勝して、最長で34連勝しました(笑)


―34連勝(笑)無双状態ですね!そうなるとまたまた高校進学時には推薦の話が来ていたのでは?

藤:実際かなり来ていました(笑)
ですが、やはり「地元で育ってほしい」という親の願いから地元を離れることはせず、自宅から通える公立の人吉高校を選びました。

■兄との夢を叶えた人吉高校時代と、東亜大学へ導かれた運命的な出会い

―公立の中でも人吉高校を選んだ理由はなにかおありですか?

藤:兄が人吉高校の野球部に入っていて、僕は「自分が投げて、兄がそれをさばいてアウトにする」という夢を持っていたので、それをかなえたいと思ったからですね。


―めちゃくちゃいい話じゃないですか。夢はかなったんですか?

藤:入学してすぐの練習試合で登板したときに実現しました!


―おー!よかったですね!その時のお気持ちは?

藤:「もうとりあえずエラーだけはしないでくれ!」って感じです(笑)


―そのシーンでエラーは冷めてしまいそう(笑)
では、本格的に試合に出たのはいつ頃から?

藤:兄の代が抜け、新チーム(1年秋)でレフトのスタメンになりました。3番打者で、打率は6割を超えてました(笑)。盗塁以外はチームで断トツのトップです。2年生では4番になりました。


―早いうちから打者として主力選手だったんですね!

藤:はい。2年生からはエースになりました。2年の秋大会で文徳高校という強豪と当たり、その時に延長15回を完投しました(笑)


―15回完投!?(笑)試合は勝利したんですか?

藤:結局引き分け再試合になってしまい、再試合で負けてしまいました。その試合でも9回投げました(笑)


―2試合で24イニングはえぐいです(笑)

藤:そういうこともあり、県内では注目選手として取り上げてもらっていましたね。

(高校時代 県内では評判になるほどの好投手に)


―期待された中での最後の高校生活。戦績や活躍は?

藤:最後の夏は初戦で超強豪の九州学院にあたってしまい、1-7で負けてしまいました。


―結構あっけなく…って感じだったんですね。
進路はどのように決められたのですか?

藤:プロを目指していたので高卒では無理だと思い、大学進学を目指しました。複数お誘いが来ていて、その中で一番夢に近づけそうだった東亜大学を選びました。


―選んだ最大の要因はどこですか?

藤:実は決め手となる、ある運命的な出会いがあって…


―おぉ…気になるお話ですね。

藤:兄の代で副キャプテンだった方が東亜大学でプレーされていたんですよ。
その人に大学の練習会に誘っていただいたときに、一つ上の先輩で仲宗根さんという人に出会いました。仲宗根さんとキャッチボールやお話をするうちに本気で「この人と野球をやりたいな」と思うようになり、決断しましたね。


―まさに運命の出会い。仲宗根さんのどこにひかれたんですか?

藤:それが本当にわからなくて、なぜか惹かれていましたね。本当にプライベートでも仲良くさせていただいていましたし、今でも沖縄の実家に遊びに行ったりして、交流があるんですよ(笑)

(写真右が仲宗根選手 彼との出会いが大学の決め手に)

■挫折→初先発初完封→挫折の4年間

―すごく仲良しなんですね!
それでは大学に入学してからのお話聞かせください。

藤:1年生で早速挫折しました
特待生だったこともあり、天狗になってたんだと思います(笑)

1年春からベンチ入りさせて頂き、いきなり全国大会にも行けました。
しかしそこで1試合も試合で投げられなくて…
そんな僕を横目に、ほかの同級生はマウンドで活躍をしていました。


―かなり悔しかったのでは?

藤:テレビで試合が映るんですけど、その試合を見ていた両親から「妬み嫉みの顔で中継に映っていた。アレはテレビに映ったらいけない」といわれるほどの顔で応援していたらしいです(笑)


―悔しさを噛み殺しきれなかったんですね。それからどのようにして立ち上がったんですか?

藤:その大会で活躍した同級生に「王将も次は頑張ろうな」といわれて、プライドはズタボロになりました。

―キッツいですね…

藤:でもここで腐ったら何のために大学に来たのかと思い、そこから練習や筋トレを必死になった結果、2年に開花しました。

大学で初先発した試合ではのちのドラフト1位である近藤(弘樹)選手
(当時:岡山商科大学・現:東北楽天ゴールデンイーグルス)と投げ合い、初完封を上げることができました!
その経験が自信となって、2年生の時は活躍を続けることができましたね。


―2年生で見事に開花したんですね!そこからも主力として大活躍でしたか?

藤:いえ…実は3年の夏ごろに血行障害になってしまって…。痛みを伴いながらの投球が続いていました。
手術はせず、マッサージ等でごまかし、仲間には秘密にしつつ3年秋までは投げてはいたものの…。別のところに負担がかかり全く投げられなくなってしまいました

4年になってどうでもよくなって腐り始めてしまいました。自暴自棄になり、野球をやめて一般就職を考えていました
そして就活の結果、宝石関連の企業からほぼ内定もいただくこともできていました。


―4年のはじめごろに進路が固まってからはどのように過ごしたのですか。

藤:不摂生な生活でスーツが着れなくなったので、痩せる目的で走り込みを始めました(笑)
すると監督に「お前頑張っているな」といわれ、社会人野球を薦められました。


―まさかの野球復帰(笑)そんな経緯があったなんて…。
結果、熊本ゴールデンラークスに入団されていますが決め手は?

藤:やはり親の存在ですね。大学1、2年生の時は車中泊をしてでも熊本から岡山や広島まで試合を見に来てくれていましたし、ぼくが勝った時は親にウイニングボールをプレゼントしていました

3年生以降も、自分が投げられないにも関わらず試合に来てくれていました。そんなに支えてもらっていた両親にもう一度いいところ見せたいと思い、野球への復帰を決断しました
しかもそれが地元の熊本のチームだったという点も魅力的でしたね。

(写真右が当時、岡山商科大学で大活躍しNPB入りした近藤選手)

―――

■自分の伸びしろに気付けた自粛期間

―いい話ですね…。では社会人時代のお話を聞かせてください。

藤:最初の大会2試合目でロングリリーフして初勝利をあげました。その後も公式戦は15イニングほど投げましたが、連続無失点で活躍できていました。
しかし来年・再来年と考えた時に、主戦として投げられるイメージが湧きませんでしたね…

NPBに行くためにもっと野球に集中できる環境に行きたいと思い、独立リーグを考えました。

―いつから独立リーグは意識していましたか?

藤:大学時にも少し考えていた時期はありましたが、4年時には野球をやめようとしていたため選択肢から除外していました。

しかし同期が独立リーグで活躍していたのを見て、社会人時代に少しずつ意識するようになりましたね。


―特殊な経歴の裏にそんな過去があったとは。初めての独立リーグですが印象は?

藤:いやぁ~、もっと選手同士が上に行くためにギスギスしていると思ったら逆でした
正直に意見を言い合える人たちばかりで、仲の良いチームだなと思いました(笑)僕も順応性が高い方なのですごく楽しいです(笑)

―楽しそうでよかったです!
今回のコロナによる状況をどのようにとらえていますか?

藤:正直1年しかチャンスないと思っていましたが、自粛期間中に伸びしろに気づき、まだいけるなと思い始めましたね
まったく悲観的にはなっていないですし、自分を見つめなおす期間、レベルアップの期間だと思って取り組めました。

(球団公式YouTubeチャンネル「ワイラプTV」での藤本投手 特集回)

―では最後に開幕に向けて、そしてファンへの一言いただけますか?

藤:僕はバランスが良い投手だと思うので使い勝手が良いピッチャー、困ったときの藤本として覚えてもらいたいですね。その上で球速も上げていき、目立っていければと考えています。
藤本がいれば大丈夫」と言われるような選手になりたいですね。

そして1年目からセットアッパーなど、試合の後半を任せてもらえる可能性があるのはうれしいです。
先発をしたい気持ちも0ではありませんが、信頼を1つずつ得ていきたいです。この世界で自分の集大成を見せられたらいいなと思います!

―1年目からの大活躍を期待しております!本日はありがとうございました

(文責 :球団インターン 泉歴)

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