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日米を経験した男が目指す、真の「エンターテイナー」

ワイラプインターンの森田です!

選手インタビュー企画「 #ワイラプ博物館 」の第6回目の記事執筆を担当させていただきます。

この連載では、博物館のように選手一人一人の歴史が分かる場になればと思います。そして読者の皆様は、ぜひ選手の魅力を発掘してください!

本日は、藤原強史 選手のインタビューです。

藤原強史(ふじわらつよし) 兵庫県出身 1997年7月19日生まれ
ニッケレッドシープス(中学)▷明石高校▷ランカスター・バーンストーマーズ(米独立・練習生)-ニューブリテン・ビーズ(米独立)▷福井▷富山▷福井

-本日は、今シーズンから福井に帰ってきた「ワイラプTV」でも大活躍中の藤原強史選手の野球人生を聞いていきたいと思います。よろしくお願いします!

藤原選手(以下、藤):よろしくお願いします!

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■父と二人三脚で始まった野球漬けの日々

-野球を始めたきっかけを教えてください!

藤:物心ついた時にはバットとボールを握ってましたね(笑) 父親が野球をしていたのもあっておもちゃバットとボールが小さいころから家にあったのを覚えています。

そこからは、父親と二人で練習してましたね。
田んぼを一部つぶして練習場にしてくれて(笑) そこに、ネットを張ってバッティング練習をしていました。

(写真は本人提供。3歳ごろとのこと。)

-自宅に練習場ですか!?すごいですね…!
少年団には入らなかったんですか?

藤:小学4年生からチームに入れてもらいました。
父と練習してたおかげで、すぐ試合には出ることができました。先輩の試合にも時々出させてもらっていました。

-お父さんとの練習の成果が結果としてすぐ発揮されたんですね!

藤:父親には感謝しかないですね!6年生の時にチームを移ることになった時も、一緒に新しいチームを探してくれました!硬式のチームだったんですけどそのチームで中学もプレーしましたね。

-中学から硬式でされていたんですね!
チームは強かったんですか?

藤:いや、そんなに強くはなかったですね(笑)
ただ、練習がきつかったです!今振り返っても人生で一番きつかった!とにかく走らされるんです。
気づいたら同学年は自分含め12人いたんですが、2人になってました(笑)

-かなり大変だったんですね…!
辞めたいとか思ったことないんですか!?

藤:正直何度も思いましたよ!!(笑)
土日に練習があるんですけど、もう木曜日ぐらいからおなか痛かったですね。怖すぎて(笑)
でも、今振り返ればあの経験が無かったらアメリカでもやっていけなかったので、結果的に良かったです(笑)

(中学時代 打撃フォームがキレイ!!!)

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■文武両道の公立高校から、海を渡る

-高校はどのように選ばれたのですか?

藤:中学のチームが強くなかったので、野球推薦とかはありませんでした。
後、ここだけの秘密なんですけど、僕そこそこ勉強できたんですよ!(笑) 公立の中でも結果を残していたので受験しました。しかも理数探究類型っていうコースでした(笑)
入ってから、めっちゃ難しい問題を解いてましたね。案の定、難しすぎてついていけませんでした!!

-た、大変だったんですね(笑)
部活動はどんな雰囲気でしたか?

藤:僕たちが入学する1年前に、近畿大会に出場していたことや、監督が熱血だったのもあったので、部の意識はすごく高かったかなと思います!

僕ももちろん全力でやってましたが、何が何でも甲子園!ってタイプではなかったですね。
甲子園に行くよりも、プロ野球選手になりたかったです!

-地元に甲子園があるのに意外な回答ですね! ポジションはどこを守っていたんですか?

藤:初めてレギュラーを取ったのはファーストでしたね!1個上の先輩が風邪で試合を休まれていた時に出してもらった練習試合で3安打打ったのがきっかけですね(笑) そこからはサードやセカンドも守りました。

-先輩の代からレギュラーだったんですね!自分たちの代の成績とかは覚えていますか?

藤:新チームになったすぐの秋の大会は強く覚えていますね。ベスト8で負けてしまったんですけど、その試合が9回ツーアウトまで勝ってたんですよ。チームとしてもかなりダメージを食らったのを覚えていますね…。

夏は、2回くらい勝った記憶はありますがその程度でした。ただ、勝った試合はばっちり新聞に取り上げてもらいましたよ!!

-やはり、高校でも大活躍だったんですね!その後の進路はどういう経緯で決まったんですか?

藤:最初は大学受験をして、そこで野球をするつもりでした。
ただ、どうも勉強に身が入らなくて。(笑) 一校だけ推薦があったのでそこに行く予定でした。
ただ、どこか引っかかる部分があって。やっぱり夢だったんですよね、プロ野球選手が

そんな時に知り合いの方を通じて、アメリカの独立リーグのトライアウトを紹介していただきました。
どうせやるならレベルが高い所でやってみたい!と思い、挑戦したところ、1チーム声をかけていただき、大学には断りを入れて渡米を決意しましたね!

-夢が選択の理由だったんですね! その頃アメリカでの独立リーグの存在や、知識はあったんですか?

藤:全くありませんでした!!!!(笑)

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■18歳で乗り込んだ野球の本場での2年間

-何も分からないまま身体一つで飛び込む心境はいかがでしたか?

藤:もう、あまりにも想像できなくてワクワクが一番強かったですね!ただ、現実はそう甘くなかったです…(笑)

-どんな現実が待っていたんですか!!

藤:まず、最初のチームには練習生という形で入団したんですけど、かなりレベルが高いリーグだったんですね。
選手も30歳前後の全盛期を迎える方々ばっかりでNPBに昔いたペーニャ選手もこのリーグ出身なくらいレベルが高かったです。

身体もゴリッゴリの中に170弱の僕が入っていくわけですよ!もう恐怖です(笑)

-まさにアメリカって感じがしますね…! 生活はいかがでしたか??

藤:ご飯がしんどかったですね。お米派だったのでつらかったです(笑)
寮でたまにメキシコ料理が出るんですが、一応お米が入ってることが多かったので唯一の楽しみでした…

家は、たまたま知り合った若い夫婦の家にホームステイみたいな形で住ませてもらってました。ほんとにいい人に出会えたなぁって思います。。

(渡米後、ホームステイ先のホストと同じ誕生日だったのでお祝いパーティー)

-たまたま知り合った方の家にですか!? もし、出会ってなかったらどうなってたんですか?

藤:どうなってたんでしょうね(笑)
それまでは、airbnbという民泊サービスを使って転々としてたんですが、1日ほんとに見つからない日があって。
球場の近くにホームセンターで買ってきたテントを張って野宿で一夜を過ごしたこともありました。
めちゃめちゃ怖かったですよ!

すると夜中に「ザァ―――――」ってすごい雨音が聞こえてきて、、「あ、これ死ぬかな?」と思ったんですけど、すぐ止んで。なんだったんやろと思って外に出たら球場の芝を育てるためのスプリンクラーでした。
しばいたろかと思いましたね(笑)

-さすが関西人ですね(笑)すべらない話をありがとうございます(笑)
何か記憶に残っている試合はありますか?

藤:初めて試合に出た日はすごく覚えていますね!

独立リーグとは言えども、アメリカではかなり人気で毎試合2000人とか観に来てくださるんですよ!
日本と違って応援団みたいな文化はないので静寂な空気がずっと流れていたんですけど、僕がゴロをさばいてアウトにした瞬間、皆が湧いてくれて!
身体がゾクゾクッてしたのは忘れらないですね!

-アメリカらしいエピソードですね!そんな刺激ばかりのアメリカから帰ってくることを決意した理由はなんだったんでしょう?

藤:目標がやっぱりNPBだったことですかね。やはりNPBでプレーするには日本のほうが近いと思ったので帰ることを決意しました。

もう一つ理由をあげるとしたら、めっちゃ僕にだけ厳しいコーチ兼代理人がいたことです(笑)
僕を独立リーグのトライアウトに紹介してくれた人であり、在籍した2チームのコーチでもあります。ちなみにテントで泊まったのも彼の提案だったり…(笑) 日本人以上に礼儀も厳しかったし、練習もどの選手よりも厳しく見てもらいました。 感謝してます!!(笑)

(ニューヨークのタイムズスクエアにて)

(異国でのプレーは毎日が刺激的だったとのこと)

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■天と地を味わった富山での経験

-日本の情報はどうやって入手していたんですか?

藤:元四国アイランドリーグでプレーしていた妹尾選手から聞いてましたね!
実は、中学のチームが同じで、後輩なんです。だから最初は、四国の方を受けました。落ちましたけどね(笑)

そこから、NPB選手の知人との合同自主トレに参加させてもらった時に、現福井のチームメイトの木下選手と出会いました
そのご縁もあって自分のことを見ていただき、最初は練習生という立場で福井ミラクルエレファンツに入団しました。オープン戦にも時々出してもらいましたが結果は出ませんでしたね…。

-シーズン途中での富山球団への移籍となりましたが、感想はいかがですか?

藤:正直、富山の1年目は地獄でしたね(笑)
結果が全く出なかったです。移籍した直後はスタメンで使ってもらっていましたが、全く打てなくて。気づいたらシーズン終了までベンチでガヤ役でしたね(笑)

-厳しい戦いだったんですね…。ただ、2年目は大活躍でしたよね!

藤:思い出したら、笑みがこぼれるくらい充実していました!

二岡智宏監督との出会いが大きかったです。分かりやすくバッティングで結果が出ました。
なんでも質問に答えてくださって、ガンガン吸収させてもらいました。プロの中でも華々しく活躍されていた方にもかかわらず、本当にフランクに接してくださいました。

-そんな中での二岡監督が退団になってしまいました。どういう心境でしたか?

藤:二岡さんについていきたい!っていうのが、率直な意見でしたね。
そんな中で、NPBに戻られるということで迷っていた中で、声をかけていただき、福井に戻ることを決めました!今年からまたみなさんよろしくお願いします!

(昨シーズン、富山在籍時のホームラン。二岡監督とのハイタッチ)

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■「野球」だけに捉われない将来像

-新しい取り組みである、球団公式YouTubeチャンネル「ワイラプTV」にも積極的に出演していますが、感想はいかがですか?

藤:面白い!って素直に思いましたね。
目立ちたいタイプなので出演することはとても楽しいですし、今こういう状況でファンの方に少しでも笑顔を届けられる方法の一つでもあるのであってよかったなって思います!

-最近は、撮影のカメラセットなども協力してくださっていると聞きました。

藤:練習撮影の際は、筒井選手たちと協力しながら準備してます!
最近は企画会議にも参加させてもらい、みなさんに面白い動画を選手目線でもアイデア出せていけたらなと思っています。

(YouTube「ワイラプTV」のレギュラー、ツヨシ選手)

-この試合ができない中、モチベーションは正直どうでしたか?

藤:下がりはしませんでしたね!不思議な感覚です。
誰も経験したことない時代を過ごしてるんだなぁって感じですね!

実は、俊足計画に取り組んでましてですね、練習再開の時に周りから驚かれるくらい成果が出始めています!
開幕までにもっと仕上げますよ!

-開幕が楽しみですね! 最後の質問になりますが今目指す将来像はありますか?

藤:もちろんNPBは目標です。ただ、野球にこだわる必要もないかなとも思っていますね。

僕は、みなさんに少しでも楽しんでもらえたり、笑顔になるような仕事がしたいなと思ってます
野球もその中の一つだし、YouTubeもそうです。だから、芸能人とかも憧れますね!

だからそういう意味でも、少しでも早く開幕して、元気はつらつとプレーする僕の姿を見て、皆さんのフレストレーションを声援に変えてほしいなと思います!

-“エンターテイナー藤原選手”の活躍が今から楽しみですね!今日はありがとうございました!

(文責:球団インターン 森田健太郎)

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