元甲子園4番打者は、地元福井の期待を背負ったフルスイングを貫く。
ワイラプインターンの松浦です。
先日からスタートした選手インタビュー企画、名付けて「 #ワイラプ博物館 」の第15回の記事執筆を担当させていただきます。
この連載では、博物館のように選手一人一人の歴史が分かる場になればと思います。そして読者の皆様は、この博物館でぜひ選手の魅力を発掘してください!
本日は、 上下大地 選手のインタビューです。
上下大地(うえした だいち) 福井県出身 2001年1月28日生まれ
三方中学校▷津田学園高校
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■福井の大砲として鳴らした小・中学時代
―初めに、野球を始めたきっかけを教えてください。
上:きっかけは兄でした!軟式のクラブチームに居て、ピッチャーをやっていたんですがその姿がかっこよくて「野球をやりたい」と思いました。
ただ、4年生にならないとクラブチームには入ることができないので4年生になるまでは、友達や兄と遊びでやる程度でした。
―やっとの思いでチームに入られたわけですが小学校時代、ポジションはどこでしたか?
上:初めは兄の姿を見ていたのもあり、ピッチャーがやりたくて希望したんですがコントロールが悪くて…わずか1日でクビになりました(笑)
その後はキャッチャーや外野をやっていましたね。
―どのような選手でしたか?
上:バッティングはめちゃめちゃ良かったですね。身体も大きく、まさに「打ったらホームラン」という感じでしたね(笑)
6年生の時には県大会でベスト16になりました。
(写真は本人提供。小学生時代)
―当時からパワーヒッターだったんですね!
では次に中学生時代の話を伺っていこうと思います。
上:中学は部活ではなく、三方ボーイズというところに進みました。ボーイズの監督に誘われたのがきっかけですね。
―練習はきつかったですか?
上:きつかったです… 学校終わりの平日も練習がありました。
暗闇の中をただひたすら走らされていましたね。おかげでメンタルはものすごく鍛えられました。(笑)
―相当きつかったんですね…。小学生時代は強打者として活躍されていましたが、中学ではいつ頃から試合に出ていましたか?
上:2年生でレギュラーになってからはずっと試合に出ていました。中軸を打つことも多かったですね。やはり当時も打撃には自信がありました。
―印象に残っている出来事などはありますか?
上:県大会の決勝まで勝ち進みましたが、決勝ではサヨナラ負けをしてしまいました…。その相手に、後にプロになった黒田響生選手(敦賀気比高校→現巨人)がいて「すごい選手がいるな…」と驚きました。
(中学時代。当時から豪快なスイング!)
■甲子園で魅せた”ミスターフルスイング”
―高校は県外である津田学園(三重県)に進まれたわけですが、決め手は何でしたか?
上:初めは兄がいた敦賀工業高校に行こうかと考えていた時期もあったんですが、「甲子園に出たい」という強い気持ちがあったので津田学園に進みました。
―福井にも強い高校はあるかと思いますが、なぜわざわざ福井から離れようと思ったのでしょうか?
上:親元を離れて苦労してみるのも大事だと考えました。きっとそれが自分自身の成長に繋がると思って。
―親元を離れての寮生活はどうでしたか?
上:初めはやはり大変でした。親元を離れたという寂しさと、常に先輩に気を使わなければならなかったのでかなり苦労しました。
―グラウンド内でも上下関係はあったのでしょうか?
上:グラウンド内では全員平等で上下関係はありませんでした。
監督も「守備でミスをしたら打撃で返せばいい」というスタンスだったので全員が結果を求めてただひたすらに練習をしていました。かなりレベルは高かったです。
―すごく良い環境だったんですね!ポジションはどこを?
上:初めは投手をやっていました。ただ、バッティングがかなり良くて、そっちに優先してほしいと言われ、野手に専念することになりました。
―試合にも出られていたということですか?
上:1年の夏大で初打席初ヒット打って「よし、いけるぞ」という気持ちになったんですが、冬以降から全然打てなくなりました。
投手の質が中学と違い、非常に高かったのが原因です。変化球に苦労しましたね。
―打てなくなってから焦りというものはありましたか?
上:焦りというよりは、もう一度自分を見つめ直すチャンスだと考えました。体づくりをしっかりしようと思い、ウエイトトレーニングを集中的にやりました。
―じっくり身体作りができたわけですね!その成果は出ましたか?
上:体重が増えてからは、バッティングの感触も良くなり2年春には6番を任されました。夏の県大会準決勝からは4番を打ちました。
―2年生で4番というとプレッシャーをすごく感じそうですが、そのあたりはいかがでしたか?
上:プレッシャーはあまり感じませんでしたね。のびのびと打たせてもらえました!
―夏には甲子園という大舞台にも出場していますが、甲子園はどうでしたか?
上:やはり最高の舞台でしたね。自分はヒットも打てずに負けてしまったんですが、思いっきり三振したことですら、すごく気持ちよかったのを今でも覚えています。
(高校時代。甲子園での打席。)
―憧れの舞台でも自分のスイングができたんですね!3年生になってからはどうでしたか?
上:春は県大会で優勝をしましたが、夏は2回戦で負けてしまいました。
―負けた直後はどのような思いでしたか?
上:「甲子園でもう一度野球がしたかった」という思いで胸がいっぱいになりました。あっさり最後の夏が終わってしまったので、本当に悔しかったですね。
■「地元の子どもたちのために」
―続いて高校卒業後の進路についてです。「独立リーグに行きたい」という思いはいつ頃からありましたか?
上:初めはNPBに行きたいという思いがあり、プロ志望届を出しました。
ある球団のスカウトの方には注目してもらっていましたが、ドラフト当日に名前が呼ばれることはありませんでした。
そんな時に、ひとつ前の高校の監督さんに独立リーグを紹介してもらいました。
―大学に行くという選択肢はなかったのでしょうか?
上:大学に行くという選択肢は一切なかったですね。1年でも早くNPBに行きたかったので、独立リーグか社会人かの二択でした。
―福井県に独立リーグがあることはご存じでしたか?
上:実は、小学5年生の時に福井ミラクルエレファンツの野球教室に参加したことがあったので、知っていました!
―そうだったんですね!独立リーグに入団してみての感想を聞かせてください。
上:何もうまくいかずに悩んだ1年でした。高校とはレベルも雲泥の差で考える余裕もありませんでした。
(昨シーズン)
―今年はどのような思いで、挑まれていますか?
上:一時(活動自粛期間)は、ボールも使えずジムにも行けないのでずっと走っていました。ただ、自粛期間で考え方を変えることができましたね。
―どう変わったのでしょうか?
上:自分が思ったことはをまずは実践してみようと思いました。他人を観察して、自分に当てはめて考えるという事ができるようになりました。その結果、今まで以上に野球について頭で考えるようになり楽しくなりました。
―今年は去年よりも感触が良いということでしょうか?
上:はい、最近の紅白戦でも打てて気持ちに余裕が生まれました。
―地元福井でプレーしていることに関しては何か思いはありますか?
上:こうして、地元で野球をしていることに関しては両親も喜んでくれています。
また、BCリーグ憲章にあるように「地元の子どもたちのために」という思いは常に持っています。
―では最後に「こういう所を見てほしい」という思いがありましたら教えてください。
上:今年は勝負強いバッターになります。攻守ともに去年より成長した姿を見てほしいです!
―活躍する姿を楽しみにしています。本日はありがとうございました。
上:はい、ありがとうございました!
(文責:球団インターン 松浦宙夢)
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