憧れの24番を背負い、奔走する選手兼任マネージャー
みなさん初めまして。
ワイラプインターンの松浦宙夢と申します。
先日からスタートした選手インタビュー企画、名付けて「 #ワイラプ博物館 」の第4回目の記事執筆を担当させていただきます。
この連載では、博物館のように選手一人一人の歴史が分かる場になればと思います。そして読者の皆様は、この博物館でぜひ選手の魅力を発掘してください!
本日は、木下裕揮 選手のインタビューです。
木下裕揮(きのした ゆうき) 大阪府大阪市出身 1992年10月25日生まれ
▷長吉六反中学校▷報徳学園高校▷東北福祉大学
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■桧山選手のようになりたくて
―木下選手、本日はよろしくお願いします!
ではさっそくですが、野球を始めたきっかけを教えてください。
木下(以下、木):野球を始めたのは小学2年生の時に地元の先輩に誘われたのがきっかけでした。
当時はサッカー選手になりたくて野球がやりたいわけではありませんでした。
父とキャッチボールをしても向かってくるボールが怖くて泣いていました(笑)
―泣き虫だったとは…!(笑)
では何がきっかけで野球を好きになったんですか?
木:その年の夏に、父と甲子園球場に阪神タイガース戦を観に行ったのがきっかけでした。
ライトスタンドの席で観ていたんですが、一番近くを守っていたのが桧山進次郎選手でした。
その時に見た桧山選手が本当にかっこよくて「桧山選手みたいになりたい!」と思い、野球を本格的にやるようになりました。
当時から、甲子園のライトを守ることは憧れでしたね。
―現在の背番号も24番ですよね!
木:はい、現在の24番も桧山選手から取ってるんですよ。
自分の中ではずっと憧れの数字ですね!
(小学1年時の木下選手 かわいい…)
―桧山選手に憧れて野球を始めたわけですが、中学時代はどうでしたか?
木:関西は硬式のボーイズリーグが盛んだったので部活ではなく、そちらに進みました。
八尾フレンド(現在は八尾中央ボーイズ)という元巨人の桑田真澄さんが居たチームです。
―桑田さん…! 中学ではどこを守っていたんですか?
木:小学校時代は体も大きくて投手をやっていたので投手をやりたかったんです。
けど当時は投手のセレクションというものがあって、その時に学校の行事で参加できなかったんですよ(笑)。
ということで最初のころはセカンドを守っていました。
―チームの成績はどのようなものでしたか?
木:全国大会には出場することができました。
あと一つ勝てば「京セラドーム」で試合ができたんですけど負けてしまったので、それはすごく悔しい思い出です。
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■「これが報徳の1ケタなんや」
―中学時代にも全国大会に出るなど、活躍されたわけですが、強豪の報徳学園に進んだ理由を伺いたいです。
木:当時の自分は「バントマン」と呼ばれるくらいバントをしていたり、足も速かったので、いわゆる「2番打者タイプ」でした。
そして、足を絡めた緻密な野球をする報徳学園は自分のプレースタイルに合っていると思って選びました。
―たしかに報徳は足の速い選手が多いイメージです!
先方から声がかかったんでしょうか?
木:いえいえ、一般受験です。
桐生第一高校や横浜高校といったチームからも誘いを受けたんですけど、やっぱり「報徳学園で野球がやりたい」という強い意志があり一般で受験しました。
―名だたる高校ですね…!
そして、木下選手は甲子園には2度出られていますが、初めて甲子園球場でプレーしたときについてお聞きしたいです。
木:初めて出場したのは2年春の選抜でした。
当時、堂林選手・磯村選手(共に広島東洋カープ所属)がいた中京大中京高校と3回戦で対戦した時にレフト・ライトの守備固めとして出ました。
―やはり緊張しましたか?(笑)
木:足が棒になってました(笑) 野球人生で初めて「ボールが飛んでくるな」って思いましたね(笑)
―誰でも甲子園は緊張しますよね…
2年生の春にベンチ入りされたということは、新チームでは主力として期待されていたわけですよね?
木:はい、しかし秋の大会で調子を落としてしまいベンチから外れました。
悔しすぎて「野球をやめたい」と本気で思いましたね。父に相談したこともありましたが、止められました。そこからは誰よりも遅くまでグラウンドで練習していました。
そして最後の夏の予選では背番号7をもらいました。
―努力が実ったんですね! その時はどのような気持ちでしたか?
木:「これが報徳の1ケタなんや」って思いましたね!本当に嬉しかったです。
(近畿大会では打率4割を打ちチーム打点王に輝き、甲子園でも18打数6安打5盗塁の大活躍でチームをベスト4に導いた木下選手。しかし大学はなかなか決まらず大変だったという)
(高校3年時 憧れの桧山選手が踏んでいた左打席へ)
―甲子園で大活躍したにも関わらず、大学が決まったのはかなり遅かったと伺いました。
木:「高卒でプロに行く実力はない」と実感したので大学に進むことにしましたが、なかなか決まりませんでした。当時のスタメンは自分以外、続々と大学から推薦が来ていたんですが…(笑)
報徳に入った時もチームでは進学先が決まるのが一番遅かったんですけど、東北福祉大の練習会に参加し、なんとか合格できましたね。
-なるほど…!東北福祉大学の決め手はどういった点だったでしょうか?
木:当時、東北福祉大学は「プロ養成所」とも言われているくらい、毎年のようにNPBへ選手を輩出していました。
ここで修業を積みたいと思って決めましたね。
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■相次ぐ怪我に泣かされた4年間
-大学時代のお話についても聞かせてください。どんな4年間でしたか??
木:1年の時には、高校のときから気になっていた右肘に限界が来ました。軟骨移植の手術をしました。
復帰したての2年の半ばには、守備でダイビングキャッチを試みたときに右膝を怪我してしまい、丸2年間を棒に振りました。
3年になって春のキャンプでの遠征・紅白戦で結果を残し、ようやくベンチ入りを果たすことができました。その後、秋の大会で代走で出ました。
―それが大学野球での初めての出場ですか?
木:はい。4年生は負けたら引退の大事な試合で、しかも最終回に急に言われたのでびっくりしました(笑)
―それは緊張しますね(笑)
最高学年となった4年生はいかがだったんでしょうか?
木:4年生の夏、勝負の時期だったんですが試合中に盗塁した時に左足の靭帯を痛めてしまいました。
そこで自分の大学野球人生は終わりました…。
(大学3年時 写真一番右が木下選手)
―なるほど…。怪我に泣いた大学生活だったんですね…。木下選手は大学を経て独立リーグに進まれたわけですが、独立リーグに進もうと思ったきっかけはなんだったんでしょうか?
木:初めは社会人に進みたくていくつか受けてたんですが、なかなか試合にも出れていなかったので全て落ちてしまいました。
正直独立リーグは頭になく野球をやめて一般就職も考えていましたが迷いは捨てきれていませんでした。
そんな時に当時の監督に独立リーグを勧めていただきました。ただ、給料面などですごく悩みましたね。
―頭になかったんですね…!
では決め手は何だったのでしょう?
木:大学の先輩であり、当時福井ミラクルエレファンツの織田一生コーチに、「一緒に上を目指して野球をやろう」という言葉をいただき、自分も「やっぱりもう一度NPBを目指したい」と改めて思い、挑戦を決めました。
(写真は福井ミラクルエレファンツ時代。現在のチーム唯一のスイッチヒッターです!背番号は24)
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■「福井県をファンの方と盛り上げたい」
(独立リーグでのキャリアをスタートして今年で6年目を迎える木下選手。今季からは選手の傍ら、マネージャー業も兼任している)
―続いて、独立リーグでのことを伺いたいと思います。
選手をやりつつマネージャー業をやるのはかなり大変ではないですか?
木:私はいわば「選手とスタッフの間」の存在です。
初めは慣れないことばかりでめちゃくちゃ大変でした。今までパソコンを触ることなんてほとんどなかったので…(笑)
現在は選手の連絡窓口や、利用する球場の調整が主な業務です。
さらには一人の選手として練習や試合にも出なければいけないので、初めのうちは全く時間がありませんでしたね。
―兼任で業務をしているのは本当に大変だと思います…
そして選手としても活躍されていますが、今の目標を教えてください。
木:入団当初は「NPBに入るんや!」という強い気持ちだけでやっていました。
しかしマネージャーとして働き始め、それだけではダメだという風に思いましたね。
今は「福井県をファンの方と一緒に盛り上げたい」という気持ちでやっています。
(自身のTwitterやInstagramでも積極的な発信を行っている木下選手。先日球団で実施した #エア福井観光 企画で投稿してくれた写真)
―では最後に、木下選手にとって「野球」とは何ですか?
木:急に難しい質問ですね~(笑)
野球を始めて「あきらめない心」や「努力」の意味を知りました。
人生の一部分であり何にも代えがたい存在です。
そして独立リーグでプレーする者として、一人でも自分のプレーで感動をしてくださる方がいれば「大きな財産」ですね。
…こんな感じでまとまりましたかね?(笑)
-バッチリです!(笑) 本日は長い時間ありがとうございました。
マネージャーとしても、選手としても、今後の大活躍を期待しております!
(文責 : 球団インターン 松浦宙夢)
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(今日の感想は、#ワイラプ博物館 のハッシュタグをつけて教えてくださると、スタッフが全力で見つけます!)