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福井発NPB行きの切符を掴むために

ワイラプインターンの松浦です。

先日からスタートした選手インタビュー企画、名付けて「 #ワイラプ博物館 」の第17回の記事執筆を担当させていただきます。

この連載では、博物館のように選手一人一人の歴史が分かる場になればと思います。そして読者の皆様は、この博物館でぜひ選手の魅力を発掘してください!

本日は、坂本竜三郎 選手のインタビューです。

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坂本竜三郎(さかもと りゅうざぶろう) 福井県出身 2000年4月27日生まれ
光陽中学校▷鯖江高校

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■中学で見た全国の景色


−早速ですが、野球を始めたきっかけはなんですか?

坂本:兄たちの影響です。僕は5人兄弟の三男ですが、兄たちも野球をやっていたので、よく練習を見に行っていました。物心ついた時からボールには触れていましたが、小1から正式に練習参加するようになりました。


−当時のポジションはどこでしたか?

坂本:1年生の頃からキャッチャー一筋です!小4からAチームで試合に出るようになりました。チーム自体はあまり強くなかったですが、小5からは正捕手をし、バッティングも得意だったので、クリーンナップを任されるようになりました!


−当時の思い出の試合などはありますか?

坂本:兄と試合に出たことですかね…!
次男と2つ違いで、兄が6年生のときにフェニックススタジアム(福井市)の電光掲示板に“坂本”の名前を並べることができたのは、なんだか印象に残っていますね。
あとは6年生の時はキャプテンをしていたので、選手宣誓をしたのも思い出です!

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(写真は本人提供。かわいすぎる小学生時代)


−兄弟で試合に出れるのはなんだか嬉しいものですよね。そういえば、坂本選手は左利きですが、右投げ右打ちですよね?これは小学生の頃からですか?

坂本:家に右利きのグローブしかなかったんです(笑) 打席に関しては、兄が右打ちでそれを見様見真似でやっていたからですかね?小さい頃からずっとなので違和感はなかったですよ(笑)
3,4年の頃に左打ちに変えようかとも思いましたが、コーチが厳しい人だったので、「お前ふざけてるだろ」と言われそうで、結局変えませんでした(笑)

−そういうことだったんですね(笑) 中学校は福井県大会常連の光陽中学校の野球部に進まれていますが、ボーイズやシニアに進もうとは思わなかったんですか?

坂本:野球がとにかく好きで、上手くなりたかったので硬式に慣れておきたいという思いもありました。ですが部活よりもお金がかかるし、何より高校に進んでからでもボーイズ出身選手たちに追いつける自信がありました!


−追いつける自信ですか!光陽中学校は監督さんが有名だと聞きますがどうでしたか?

坂本:井幡監督ですね。チーム作りがとても上手い方で、赴任してきたから光陽中を県大会常連校にまで育ててくれました。また、人間性の向上に重きを置く方で、厳しかったです。3年生になるまでバッティンググローブの使用、ピチッとしたアンダーシャツの着用は禁止でした(笑) でも、中学野球は思い出が1番ありますね


−光陽中学校は強いとお聞きします。1年生のお話から伺いたいです!

坂本:1年生の頃はずっと走っていました。試合中もボール拾いや雑用がメインでしたが、秋からは正捕手です!でも、秋の県大会の前に眉毛を剃ったことがバレて、決勝まではスタンドで応援をする羽目になってしまいました(笑)

−若気の至りですね…(笑) では、 2年生のお話を聞かせてください!

坂本:2年の夏は北信越大会に進むことができました。北信越では寺西選手擁する星稜中学校に負けてしまいました。「ゴジラ2世」と呼ばれ、星稜高校ではエースで4番として甲子園にも行っている選手です。
3年生が引退してキャプテンを決めるときに、光陽中学校は推薦制で決めるんですが、全員が僕を指名してくれて、キャプテンを務めることになりました


−3年生の時には輝かしい成績を収めたとお聞きしました。

坂本:2年の秋は、北信越大会には進めませんでしたが、3年の春の地区大会は優勝できました!夏は北信越大会まで進むことができ、福井県開催だったので、小学生のときのようにまた選手宣誓も務めましたよ!

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(中学時代も選手宣誓)


−では、その夏の北信越で全国行きを決めたわけですね!?

坂本:北信越で2校が勝てば全国行きの切符を手に入れることができるので、準決勝を勝てば全国ということになります。その準決勝で同じ福井県の清水中学校と対戦したんですけど、6回の2アウト2塁で僕が勝ち越し打を打ったことで、全国に行けることになりました!光陽中学校初の夏の全国大会出場です!


−初の全国の舞台はどうでしたか?

坂本:春の大会で優勝している宮崎県の角川中学校と初戦で対戦して負けてしまいました。高校野球のようにキビキビしていて、ウォームアップも全員が揃っていて圧倒されました。何よりも全員が緩みなく行動していて、「これが全国か…」と思いましたね。と同時に、この頃からNPBを考えるようになりました


■コーチと歩んだ高校時代


−全国出場を率いた選手ということで推薦も多かったのでは?そんな中で公立の鯖江高校を選んだ理由が気になりました。

坂本:1番誘いが熱心だったからです。鯖江高校のコーチは春江工業高校出身の栗原陵矢選手(現・福岡SB)を指導された方でした。その方に「中学時代の栗原に似ている」と言われたのも大きな理由の1つです。


−入学してみていかがでしたか?

坂本:入学してすぐのころは試合に出させてもらっていました。けど生意気だったので、先輩に怒られることもあり、あまり良いようには見られていなかったと思います(笑)
夏に同じ光陽中学校出身の先輩とバッテリーを組めたのが思い出です。一緒に登校する仲だったので、とても嬉しかったです。その後、先輩たちが引退してから正捕手になりました!


−2年生になってからはいかがでしたか?

坂本:2年生に上がると同時に、誘っていただいたコーチが転任されてしまったので、鯖江高校時代に牧田さん(現・東北楽天の2軍外野守備走塁コーチ)とチームメイトだった近藤コーチに指導していただいていました。
自主練を19時から22時半までしていましたが、その間はずっと近藤コーチが面倒を見てくれましたし、牧田コーチの話もすごく刺激になりました。


−この時からプロの世界を少し知れたのは大きいですね!先輩たちの引退後は、今まで通りキャプテンでしたか?

坂本:いえ、キャプテンは負担になるので、自分に集中するためにしないと決めていました。そのぶんしっかりと自分に集中して、常に考えながら練習することを心がけていましたね。また、チームメイトの仲が良すぎると部活にも持ち込んでしまうので、野球部同士であまり仲良くしすぎずにして練習ではきついことを言ったりと嫌われ役に回っていました。


−自分から嫌われ役に回る勇気…すごいです!では、3年生はどうでしたか?

坂本:正直、チーム自体に負け癖がついてしまっていて、勝ちたいという気持ちや野球に対する意欲など、温度差はかなりありました。冬に体が大きくなっても、心の温度差が縮まることはありませんでしたね。
夏も2回戦で敗退しましたが、僕は初戦で2打席連続ホームランを放ちました!2回戦は3度敬遠されましたが、2安打と成績を残せました!


−2打席連続ホームラン!?それだと大学からも推薦などは来ていたのでは?

坂本:推薦も来ていましたが、独立リーグは大学と違って毎年ドラフト指名のチャンスがあるので、BCリーグに行こうと決意し、福井ミラクルエレファンツの練習に参加しました。そこで同じ捕手出身の田中監督の人柄とNPBのキャリアに惹かれて入団することにしました

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(高校時代)

■1人の“捕手・坂本”として羽ばたくために


−入団が決まっていかがでしたか?

坂本:福井球団は県内での知名度は高いので、素直に嬉しかったです。
担任の先生からも「NPBじゃないけど、プロはプロ。とりあえず夢を叶えたな!」と喜んでいただき、周りからも応援してもらえました!


−そんな中で、入団してすぐの感想はありますか?

坂本レベルの高さに驚きました。荒道選手のバッティングを見た時には「このレベルでNPBに行けないなんて…NPBはもっとレベルが高いのか…」と衝撃でした。そこのレベルに追いつくためには何からすればいいのかがわかりませんでしたね。


−同じ捕手出身の田中監督の指導はいかがでしたか?

坂本:「捕手は試合に出てなんぼ」と言って、試合に出していただきながら基礎から指導していただきました。中村(辰哉)さんと交代で出させていただいて、中村さんも嫌な顔せずに指導してくれました。本当に感謝しかないです。

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(昨年は、田中前監督のもとで急成長を見せた)


−そんな1年目の印象に残っている試合はありますか?

坂本:阪神タイガース2軍との試合です。福井球団からNPBに進んだ片山(雄哉)選手は田中監督が指導してくれたことを当たり前のように実践されていたので、さすがだなと思いました
また、BCL選抜も大きかったです。スカウトの方とお話をさせていただく機会があったんですが、やはり年齢が武器だし、打者としてより、捕手としての立ち振る舞いの方が大事だとアドバイスをいただきました。そのために、平均1.9秒の送球でコンスタントに盗塁を刺せとも言われました。


−昨季はたくさんの学びがあった1年だったようですが、今回このように変則的なシーズンを迎える心境はいかがですか?

坂本:今年に懸ける想いは強かったです。3月や4月に照準を合わせていたので、モチベーションを保つのが難しかったですね。けど開幕が長引いている期間はひたすら配球の勉強をしていました。活動自粛明けの富山とのオープン戦(6月7日)では完封リレーだったので、手応えはありました。
また、現在のチームには捕手の指導者がいないので、田中前監督とも連絡をとってキャッチングやスローイングの動画を送ってアドバイスをいただいています!


−濵田選手のインタビューで「坂本はまだまだ!もっと向かってこい!」と言われていましたが、その点はいかがですか?(笑)

坂本:言われていましたね~(笑) 昨年は、どの投手もどんなタイプか全然わからない中で、自分で配球を頭で考えながら投球している濵田さんにめちゃくちゃ首を振られてて…自信がなくなって悔しくて、勝敗に関係なく毎回泣いていました(笑)
今年は自分の意思や意図をしっかりと伝えます!何よりもコミュニケーションが大事だと思うので!その中で、田中前監督の指導にアレンジを加えて、「捕手・坂本」という1人の選手を確立させたいです!


−最後に、ファンの皆さんに一言お願いします!

坂本僕は福井が大好きなので、できる限りで福井に貢献したいと思っています。僕たちのプレーを見て元気になってもらえれば、福井も活気付くと思います。ぜひ球場に観に来てください!

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−ありがとうございました!同じ福井出身、同じ歳としてたくさんのお話を聞けて楽しかったです!中学時代から坂本選手のことは知っていましたし、やはり同学年として頑張ってほしいです!

(文責:球団インターン 松浦拓矢)

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