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人間関係は鏡

今日は「人間関係は鏡」という話をしようと思います。

家事分担してみたら

我が家では、1年ほど前から家事を概ね分担しています。僕はお掃除とか洗濯が苦手、というか嫌いで料理を作るのが好きなので、料理など台所回りのことが僕の役割です。なので僕は、買い物や食器を洗うのも含めてやります。分担を曖昧にしていたころよりもすごくやり易くなって、僕自身も家事全体のうち2割ぐらいしかやってないぐらいの楽ちんさ。妻に聞いてみても、やっぱり同じように2割ぐらいしかやってないという感覚とのこと。2+2=4割!残りの6割どこ行っちゃったんだ!ってぐらい、ある程度分担してやりたくない家事をやらないのは楽だったんです。

しばらく経つと

今はどうかというと、僕はなんとなく8割ぐらいやってる気分になるんです。まぁもう少し落ち着いて考えてみても、やっぱり5割いっているのかどうかって感じはするけど、気分的には6割7割ぐらいやってそうな気がすると。もしかしたらきっと妻ももうちょっと増えてんじゃないのかなって気はします。そうすると足したら10割超えちゃうんじゃないかと。

どうしてか考える

元々、僕にとってやりたいのは料理なのに、それ以外にやらなきゃいけないことが多いんですよね。食器を洗うのも好きじゃなくて、買い物も料理に結びつかないものってそんなに好きじゃない。で、そうなってくると、その台所回りにあるこうやらなきゃいけないこと、ゴミの分別とか処理とかも自分の仕事になってきていることに気がつくわけです。洗い終わった食器を片づけることとかもね。 自分がやりたいと思って能動的にやっているものは楽しみとしてやれるからいいんですけど、あんまり望んでやれてないことは、やらされている感じがとても強くて。「なんで俺ばっかりこんなんやってるの?」とか、「なんでもっと手伝ってくれないの?」とか、自分ばっかりやらされている感覚に陥ってくるんですよ。そうすると、つい「あれをやってほしい」「これをやってほしい」と相手を非難するような気持ちが湧いてきてしまう。

ボブ・マリーの言葉

僕の好きな言葉で「指を指して人を非難する前に君のその手が汚れていないか確かめてくれ」っていうのがあるんです。 これはグサッときますよね。
「なんで、もっと手伝ってくれないの?」「自分ばっかりやらされてる」って。僕は考えるわけです。そんな時に人間関係は鏡なので、「自分が相手のことを手伝ってるのか」「やらされてる感出して振る舞っていないか」ってことです。 そうすると、もう全くその通りで。きっと相手も同じこと思ってるんだろうな。
僕は役割分担したのをいいことに、ちょいとやればいいこともあんまりやらない。
それは僕がもっと手伝って欲しいと思っているから、それに対する復讐みたいな感じで、自分がやってほしいのにやってもらえないからってやりかえすわけですよ。なんか。心が小さい男。 きっとそんなに明確に仕返しとか思ってやってるわけじゃないんですけど、自分が手伝ってほしいのに、自分が逆に手伝うって損した気分になるのかな。

人間関係は鏡

人間関係は鏡ですから、例えば朝起きて鏡を見た時に、鏡の中に写っている自分の顔が汚れていたとしたら「あれ?鏡汚れてる」って鏡拭いて、「あれ?鏡に映った自分の顔汚れてる」と思ったら自分の顔を洗う。 鏡に映った向こう側、何か文句を言いたくなったときに、自分側に何かやれることはないのか探す。 で、少しだけ。自分が守備範囲外だと思っていたこと、もう言うには恥ずかしいレベルなんですけど、洗濯物を取り込むとか、少しずつやるようにしました。それだけで、ありがとうって感謝の言葉を言われたり、相手が僕の守備範囲っぽいことをやってくれるようになってきた気がします。
まあ、そういうことなんですよね。相手を責める、非難する、そんなことをする前にまず自分ですね。

最後にもう一度

「指を指して人を非難する前に君のその手が汚れていないか確かめてくれ」 ということで、鏡に映った自分自身の姿を見て、考えて、修正していく、そんなことがとても大事だなと思っております。最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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ファミリードクター福田幸寛
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