未来に種を蒔こう
今日は未来に種を蒔こうということでお話していこうと思います。
僕はグループコーチングだったり、その他講座を開いたりしているんですが、その講座の話ではなく、その参加者さんから聞いた話です。僕も常々思うのは、「仕事上だとやれていることが、プライベートな家族という関係性ではなかなかやれない」と言うことです。
僕個人はコーチングを提供していて、コーチを受けている立場でもある。そんな中で何かを伝えたいし、「分かりやすい」「あれが響きました」と言われたり、伝わったと感じると、すごく嬉しい。一方でなかなか伝わらなかったり、響かないということは僕にとっては苦しいことです。(僕の中で他人に理解してもらいたいとか、何か伝えたいって気持ちがあるから、こんなことやってるんですけどね)
仕事では種をまく
そんな中、今すぐ役に立つわけじゃなくても、将来その方にとって何かいいきっかけの一つになるかもしれないとか、そのとき感謝されなかったとしても、何か良い種になるかもしれないと思ったら、何か一手を打つことがあります。例えばタバコを吸って止めない方に、めんどくさくて関わらない医者もいるんですよ(タバコやめなさいって言っても、そんな上から目線の言葉は伝わらない)。でも「どれぐらい吸っているんですか?」とか、「いつ頃から吸ってるんですか」とか、ひとチクリするわけですよ。そうすると「本当はやめたいんだけどなあ」っていう気持ちがちょっと湧いてくることがあるんですよね。そういうときは「本当はやめたいんですか?」って聞いたりとかね。そうやってその人がその場で「タバコをやめる」という選択を取らなかったとしても「本当はやめたいと思ってるんだよな、自分は」っていう気づきがその瞬間起きて、いつかこの時蒔いた種が芽をだすかもしれないと思っています。
タバコのこと以外のことも種を蒔いて、いつそれがこう芽が出るのか分からないけれど、出ないかもしれないけど、もし芽が出て、花が咲いてくれたらいいなという願いを込めて、関わっていたりします。
一方でプライベートでは
今伝わらなくてもいいな、将来これが役に立ってくれたらいいなって願いを込めてプライベートを過ごせているかというと、なかなかそうではないなあと気がついてしまいました。 子供たちとの関わりで、「今は難しいかもしれないけれど、将来もしかしたら伝わるかもしれない」みたいな気持ちがないわけじゃないんですけどね。でも、なかなかそう思えずに、うまく伝わらなかったら、イラッときて、つい声を荒げてしまうとかあります。
特に妻に対しては、コミュニケーションにおいて、一個一個説明することがすごく嫌で、これで伝われっていう感じで12345を135で飛ばして伝えたりするので、「それってこういうこと?」って確認取られるとすごいイライラしちゃったりするんですよ(仕事上はそんなないんですけど、プライベートではそうなんです)。そうすると、なんでこんな事もわかんねーんだよ。みたいな感じで、怒りが湧いてくる。 仕事上は伝わらないことが前提で、こう伝わらなくてもいい。でもどう伝わるかっていうところを工夫しながら、いつか伝わるといいなって言う願いでやっていけることなのに、いざプライベートで近しい関係になると、僕のエゴやわがままがむき出しで、「なんでこんな事もわかんねーんだよ」と思ってしまう。
お弁当作りで種を蒔く
特に子供に感謝されないことって多いと思います。親が愛情込めて、願いを込めてやっていることは子どもにとっては伝わらないことってありますよね。今日も僕は早めに仕事終わらせて、子供のお弁当なんか作ってみたりしたんですが、それもね、大して感謝はしないでしょう。
でも作りながら思ったんですけど、あ、これはもしかしたら将来ほんのりと記憶の底に残っていたりして、いつかこうやってあの時親がお弁当作ってくれたよなと、5、10、20年後、どこかで気が付く瞬間が来るのかもしれないとその未来を想像したら、「今僕は種をまいているだけなんだなあ、それが芽が出ようが出まいがまあいいじゃない」と思いました。 この種の表現をしているのは、僕のお友達が最近種まきから畑をやったりして、芽が出て凄い喜んでいる姿を見て。ああ、種を蒔いて必ず全部芽が出るわけじゃないけど、目が出るかもしれない、出ないかもしれない、でも出てくれると嬉しいってすごく素敵。面白いよなーって思ってたんですよ。
そんな愛情が当然の穏やかな日常がいい
それともまた繋がって、僕が子どもと関わっていく時に、これからも種を蒔き続けるように、愛情を注ぎたいなと。気がついていなかったとしても、それが当然だと思ってくれるぐらいの方がむしろね。特別なものとして感謝されることが良いことじゃないかも知れません。
見返りが欲しくてやっているわけじゃないんですよね(欲しい時もあるけど)。仕事を少し減らしてでも、家族の時間を増やして、家族との会話の時間、穏やかな暖かい家族と過ごせる時間を、自分自身で体験したいというところが原点なんだから。 子供達にとってはそれが当たり前って言う感覚で、むしろ感謝すらされないぐらいのそういう穏やかな日常が送れている状態の方が良いですよね。
そして遠い将来かもしれないけど、こんなに愛情を受け取っていたんだなぁって気づいてくれたらそはそれで、なお嬉しいと言うお話でした。
ということで、最後まで読んでいただいてありがとうございました。