のび太たちがいる「あの空き地」で伝える子ども第三の居場所
企業経営者から「なにそれ?」と言われ、自治体職員から「学童とどう棲み分けるの?」と聞かれる子ども第三の居場所。限られた説明の時間。口下手な自分。うまく伝わらず悔しい思いをしてきました。
そこで朗報です。ついにその答えを『ドラえもん』で見つけました。子ども第三の居場所とは、のび太たちがいる「あの空き地」のことだったのです!
突飛すぎますか。突飛すぎますね。以下説明します。
■子ども第三の居場所みかん箱
日本財団が進める子ども第三の居場所。私はそのコミュニティモデルであるみかん箱(函館拠点)を担当しています。
助成終了後には自走しなければならず、①会費等で運営する、②企業から協賛金を集める、③個人から寄付金を集める、④自治体から業務を受託する、⑤児童育成支援拠点事業へ移行するなど、資金調達が必要です。みかん箱にはこども会員の仕組みがすでにあるので、今後おとな会員という仕組みをつくって支援の受け皿を用意するつもりです。
で、おとな会員を募集するにあたって、事業の内容を説明しなくてはなりません。これが一筋縄ではいかないわけです。
■みかん箱でいう居場所とは
みかん箱では子どもの居場所についてこう考えています。これは子ども・若者の居場所に関する萩原さん[※1]の研究の受け売りです(すみません)。
挫折や失敗を繰り返せる場
偶発的な学びや体験ができる場
誰かとナナメの関係があるインフォーマルな場
自己肯定感、人や社会と関わる力など、将来の自立に向けた力を育む場
例えば、保育が必要な(「保護者が労働等により昼間家庭にいない小学校に就学している」[※2])児童には学童(放課後児童クラブ)という場があります。学習支援でいえば学校のアフタースクールや塾など。遊ぶところは児童館。習い事や体験行事、(カネはかかるが)テーマパークなど、すでにいろいろあります。
問題は、中・高学年の児童、つまり留守番できるようになった子どもの居場所がないことです[※3]。居場所がないことによって、彼らの学習・体験の意欲や機会が失われている。自己肯定感が低い傾向にある。居場所のあるなしで体験格差が生じる。みかん箱はこうした問題を事業を通じて改善したいんです、と言いたいのですが。
■これを1行で伝えるにはどうすればいいのか
ここまでの説明。すでに長すぎると思いませんか。相手が企業経営者なら話が打ち切られているところです。「忙しいんでもう結構です」と。
「子どもがひとり家でスマホやゲーム機をいじっていても、それは成長につながりません」というのが手っ取りのですが、これは伝え方としてあまりにネガティブすぎるし、そもそも事業の説明になってません。
■漫画『ドラえもん』にみる居場所
のび太たちが一度家に帰ってからあの空き地へ出かけているところをみると、おそらく下の学年の子たちは、家にいるか放課後児童クラブに通ってるんだと思います(知らんけど)。ちなみに同学年の出木杉くんは、気力も学力もありそうだし大丈夫。スポーツ万能ですし。
一方、のび太はあんな感じなので、誰かの「支援」が必要です。自らの意思で宿題を持参してサードプレイスに足を運ぶようなキャラではないです。読者もそんなのび太が大きくなって東大や京大に進学するとか、海外で名をはせるとか、そんなことは期待してません。期待してないからといって絶望的な将来かと言われると、それは間違いです。のび太はのび太なりの優しさや想像力で、ときに仲間の知恵や助けを借りて、それなりの人生を送ると皆が思ってます(できればしずかちゃんと結婚してほしい)。この漫画が読みつがれる共感はそこにあるわけで。
のび太の支援にあたるのがドラえもん。ドラえもんはのび太だけではなく、結局はのび太のママやパパ、しずかちゃんやスネ夫、ジャイアンら周りの人たちの面倒をみています。これは居場所の運営者にあるべき資質です。ネズミが大の苦手。ほかにも(担任の)先生、ジャイアンの母ちゃん、神成(かみなり)さん。みんないい具合に短所や長所があって、あの空き地に変化を与え、時に「その場のルール」を破壊します。
こういう人、うちの近所にいるなぁとか職場にいるなぁとか、いわゆる聖人君子にほど遠い人たちが子どもに関わって、社会を構成している。世の中いわゆるエリートや勝ち組ばかりではない。そんなこと、皆わかっています。
■説明しなくても、すでにわかってた
そう。皆わかってるんです。説明しなくても。
あの空き地から聞こえてくる「物語」の尊さを。
自由に使える場
何となく集まる(またはジャイアンに呼ばれる)場
大人が登場する場
人生を豊かにする場
■先人が描いた世界をかたちにする
というわけで、みかん箱が子ども第三の居場所として取り組むことは、失われたあの空き地を、今のやり方で取り戻す。そのためには、社会の力が必要だということです。言い換えれば、藤子・F・不二雄先生が描いた世界を現実のものにすれば、社会がよくなる。そういう事業です。[※4]
「今のやり方で」というのがポイント。物理的な空き地を用意して土管を置けば問題が解決するとは誰も思ってません。
今は大人による「仕掛け」がいります。
それは保育・教育関係者や有識者、専門家に限りません。
ここは私たち、のび太の周りにいる大人の出番です。
みかん箱で、一緒にそういうことをやりませんか?
将来にわたって必要な事業だと思いますよ!
■「オマージュ」ついでに
この記事を児童の放課後のために闘う、全ての『ソーシャルパンカー』に捧げる。[※5]
※参考文献・引用・注釈
萩原建次郎『子ども・若者の居場所と人間形成』、東信堂、2024年
子ども家庭庁「放課後児童健全育成事業(放課後児童クラブ)」 (2024年11月8日アクセス)
中高生に比べ外出行動に関する制限が大きいことに留意。小学生の居場所には小学校の決まりごとを踏まえた制度設計が必要。
難波寛彦「こども食堂は『ドラえもん』の"空き地"。スタバと取り組む地域の居場所づくり」『OTEMOTO』2023年11月30日 (2024年11月8日アクセス) 今回の私の思いつき以前にかつはるかにおしゃれな文体で、ドラえもんと子ども食堂について触れられている。
元ネタは、小島秀夫監督作品のゲーム『スナッチャー』MSX2版、1988年のオープニングから。「この物語を欺瞞に満ちた世界で闘う、全ての『サイバーパンカー』に捧げる」。ソーシャルパンクは造語であるが、保育や教育に関わるのは「ちゃんとした人」というイメージが強いので、いやいやそんなことない。むしろはみ出した人やとんがった人、私を含めた「しょうもない人」が子どもの人格形成に必要なんだよ。という思いを込めてみた。