政治姿勢を変えたのか?政治家福田峰之33年の集大成

20歳で書生(秘書見習い)となり2年、大学卒業後秘書となり8年、横浜市会議員2期、そして衆議院議員3期、落選している時期を含めて、33年間自民党という立場で政治に関わってきました。そして、前回の衆議院議員選挙時には、小池百合子都知事と共に「希望の党」を立ち上げ、政権交代可能な改革保守政党をつくる挑戦をし、失敗したのです。希望の党は後日解散し、僕は政治的には無所属となり、政治の道を退いて3年9か月が経ちました。

政治理念を変えたのか、政治姿勢を変えたのかと、問われますが「政治は太陽のようでなくてはならない。誰にでも公平に陽がふりそそぐように」という思いは、僕にとって不変なものです。世の中は不平等です。どの様な親の下で産まれたかによって人生は変わります。100メートル競走を80メートルから走り始める人、マイナス10メートルから走り始める人、同じスタートラインには立ちません。80メートル先に居る人を50メートルまで戻し、マイナス10メートルの人をスタートラインに進める、これが政治の仕事です。共産主義者ではないので、両者を同じスタートラインに立たせることは出来ません。努力すれば逆転できる状況まで、環境を整えることなのです。

僕は「政治は国民のもの」という自民党立党の原点であるこの一言を信じて33年間所属していました。この言葉の中に、「公平」を感じていたからです。でも、政権交代可能な二大政党が無いがために、自民党が原点からずれてきていると思ったのです。その思いが「希望の党」創設メンバーに加わるきっかけとなったのです。僕自身も自民党のルール変更で、政治の道から退場を余儀なくされる状況下にあったのです。

今回横浜市長選挙への挑戦は、このままでは閉塞感から脱却出来ず、横浜の将来が描けない。格差が広がり、不安定な社会を子供たちに残すことになるという思いからです。大企業病に侵された横浜は、守りに走り、旧態依然の関係を大切にし、新たな挑戦が望まれない。新たな挑戦が出来なければ、新たな参入者は生まれないのです。そこに、公平な機会はありません。

だから、僕らのキーコンセプトは「#横浜STARTUP」なのです。僕が追い求めてきた政治は「政治は太陽のようでなくてはいけない」、公平な機会があり、新たな挑戦者が生み出されることです。政治家を目指した時から何も変わっていません。政治家として最後の仕事は、僕が育った街、横浜をチャンスに溢れる公平な都市にすることです。

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