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写真はどこに在るか

データと言うものは、この世に存在しているのだろうか。物理的に存在してはいない事は確かだ。デジタル的価値観がこれだけ常態化した世の中なので物理的に存在しないからといって、存在そのものが否定されたわけではないとは思う。
SSDやHDDやSDカード等のメディアに保存されたデータも、どこにあるかもわからないサーバーに保存されたクラウドデータも存在はしているんだと思う。
けれども、僕はやっぱり物理的な存在こそが本当のゆるぎない存在のような気がしてしまう。
と言う僕の偏った考え方を前提にして考えていく。

僕はいつも腰から小さなフィルムカメラをぶら下げている。ほぼ寝る時と風呂に入る時以外はその小さな小さなフィルムカメラを体の一部のように携帯している。体の一部のようになりすぎて普段は存在を忘れているほどだ。僕はもちろんデジタルカメラを使って写真を撮るし、仕事で撮る写真は99%がデジタルだ。普段の撮影はiPhoneもよく使う。けれどもプライベートの写真、特にここぞと言う時、特に撮りたい!と強く思う事物はフィルムで撮っておきたいと思っている。
それはなぜなんだろうと考えてみる。
フィルムの良さとは……いやこれを語ると長くなりすぎるけれども、超簡単にまとめるならフィルムの良さはフィルムならではの写りや色味や味……などではなく撮った瞬間にその写真は物理的にフィルムに刻まれているということなのではないかと思う。つまり撮った瞬間にもう決着がついている。そのことがフィルムの一番の良さではないか。これはもちろん僕にとって、と言う但し書きがつくけれども。(フィルムならではの味わいとかももちろんあるし)

フィルムの良さはもちろんそれらだけじゃないしデジタルの良さももちろんある。フィルムとデジタル。そのどちらかを特別持ち上げるつもりもその必要もない。
そのへん語ると果てしなく長くなるので(いや今でも充分に長文だが)またの機会に。

そう。だから、僕の机の上には、未現像のフィルムが4本あり、もうすぐ5本になりそうだけれども、撮った瞬間に決着がついているからこれで良いのだ。

いややっぱり早く現像出そう。

#フィルム写真
#写真とはどこにある
#デジタルとアナログ
#データとフィルム
#アナログ礼賛ではないよ

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