5/25 大学生の日記「危機察知能力」
今日、ハプニングが発生した。教授が、僕たち4年生に実験方法を教えている最中に、実験装置が悲鳴をあげたのだ。ポシュー、と今までのうっぷんをはらすかのように窒素ガスをはく。当然、僕たち4年生は何が起こっているのかわからず、呆然と立ち尽くす。僕たちの動きに反比例して教授は素早く動く。
教授は、結構焦っていたようで、小声で何かブツブツ言いながら動き回っていた。おそらく、教授の脳はフル回転して解決方法を模索していただろう。
〜危機察知能力〜
僕は、人間には危機察知能力があると思っている。
危機察知能力とは、草食動物が肉食動物に襲われないようにいち早く対応できる能力だ。
人間は、食べられることはないが、大きい事だと、車の衝突事故・殺人事件。小さい事だと、怒られる時、物を落としそうになった時 など、人間が危機に直面することは多々ある。
しかし、僕は、この能力は元から個人が持っていた能力ではなく、後天的な能力だと思う。
理由は、能力差に違いがあるからだ。
例えば、
皿を落としそうになった時、外で遊んでいる子供よりも、毎日皿洗いをしているお母さんやお父さんの方が気づきやすい。
今日の例だと、教授は実験を何回もしているため、この装置が悲鳴をあげたのは何かが原因だ。大変なことになる前に、これを…、あれを…と、僕たち4年生よりも早くに動くことができたのだ。
これらのように、危機察知能力には、経験が大きな影響を与えていると思われる。皿の動きや場所、実験装置の音や現象を何度も耳にしているから、危機を予測できるのではないかと思う。
勉強も同様だ。
何かの分野の問題を繰り返し解いていると、その分野の問題が出されたときに、なんとなくやり方がわかったり、類似した問題が出されたときに予測できるのだ。
勉強すればするほど、その感覚は研ぎ澄まされていくのだ。
資本主義社会と同様で、お金が集まるところにお金が集中する。知識も、知識を集めている人に知識が集中するのだろう。