打牌は選手の人格の一部か?
むっちゃ時期を外した感がありますけど、それでも書きます。
10日ほど前、このnote↓が話題になりました。
これが良く整理されてて上手い文章なのに、にもかかわらず難解で、一読では意味が取りづらい難文でした。
数行でまとめると、
・以前、平澤元気さんが最終戦の目無しの打ち方について、沢崎さんに否定的なことを言ってたので、沢崎さんを嫌いなんだなと思った。
・この前の配信で、平澤元気さんが『選手の批判ではなく、打牌についての議論ができるようになればいい』というコメントを読み上げた。
・サクラナイツの森井監督が「そうなんですよ」と答えたとき、心臓を鷲掴みにされた。
・打牌は選手の人格の一部である。
・打牌の議論をする人が麻雀界に対して何らかの責任をおって生きている人だけになればいいなと思っていた。
・しかし森井監督の考えは違うようだ。
・自由闊達な議論を防ごうとしている私は退場すべき。
・ファンクラブもサポーターもAbemaプレミアムも解約した。
となるのかなと思う。
これが燃え上がったのは、瑠美ちゃんが拡散したことも大きい↓
拡散した瑠美ちゃんに批判が殺到した。意図としては、こんな感じかな↓
この件について自分の意見を書きます。
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