「ツイッターを捨て町へ出よう」は正しいか?
今日の白饅頭noteがそんなテーマだったね。偉大なる白饅頭先生は肯定的だった。ツイッターを離れると、じつは世界は美しいと。
ダンスのマブダチ高ちゃんが最近同じようなことを書いていた。これはツイッターじゃなくてインスタだったけど、インスタを見るとネガティブな感情ばかりわくようになってアカウントを停止した過去があったと。その後また復活してるけどね。
俺が愛読してる、しょーもない漫画家ランキングでかなり上位に入りそうな柳沢きみお先生も、今日読んだ中に「メル友じゃない本当の友を」みたいなことを描いていた。メル友って最近では聞かない言葉だけど、古い漫画なので勘弁してあげてほしい。柳沢先生は、PC、スマホ、ネットなどをすべて毛嫌いしてるんですわ。
この件について俺の意見は違う。白饅頭noteで、それは違うなって思うことは週に1回より少ないんだけど、この件に関しては違うんだわ。
ツイッターは悪くない。素晴らしいものだ。いや、素晴らしいものだったと過去形になるのかな。名前も変わったし、今までのツイッターが存続するか不明なので。
女の生き方みたいなテーマでツイートして燃えてるやつらのことは知らねえ。イナゴの大群が襲ってくる天災みたいなもんだ。そういうのはどうでもいい。
こと麻雀において、いや、麻雀に限らず趣味に生きる者にとっては、リアルは世界が本当に狭い。仲間なんてめったに見つからない。孤独だ。
それがSNSの中では同志が見つかる。そこで初めて孤独から解放される。
俺は大昔から麻雀の世界にいるから、麻雀プロは山ほど知り合いだし、友だちだったりする。それでも、ネット麻雀の世界で対等に戦い、ツイッターでやり取りした相手のほうがより友だちだって気がするわ。
こういうのはネットとSNSによって可能になったことだ。
ツイッターとかヤフーニュースのコメ欄のひどさというのは、要するに馬鹿でも発信する権利があるってことだろう。その逆というのは、選ばれた人(インフルエンサー)しか発信できない社会だ。
俺はSNS時代が到来する前から大人なので、出版社とかTV局とか有名人しか発信できなかった社会をよく覚えてる。ほんとろくなもんじゃなかった。権力者しか発信できない社会よりも、馬鹿でも発信できて、ときにはイナゴの大群化して素朴な民を襲う社会のほうがはるかにマシだ。
ツイッターは悪くない。ただ今の世の中を映し出してるだけだ。
このテーマに即してるか微妙にわからんけど、ひとつ思い出話を書かせてほしい。
10年以上前のことだ。
そのころ俺は雀ゴロ時代の初期で、渋谷のフリー雀荘へ朝10時に行って連勝戦を打ち、夕方7時にまたその店に行って5勝戦を打つという生活だった。午後の数時間は暇になるので、いつもは漫喫なんだけど、その日は友だちが始めたバーに行ったんだわ。
その時期は、雀ゴロ活動を真面目にやろうとし始めてたけど、それ以上にブラウザ三国志というネトゲにハマり込んでいた。戦争が起きたら不眠不休でPCに張り付き、もう麻雀どころじゃなかった。
その日はゆるやかな戦争状態だった。不眠不休で張り付くほどじゃないけど、空き時間にゆるやかに戦争するレベル。
ブラウザ三国志はカードゲーであり、課金ゲーだったけど、当時はカードゲーの初期で、課金額で勝負が決まる感じじゃなかった。俺はほぼ無課金に近かった。
当時は羊のような育成ゲースタンスのプレイヤーが多くて、その中で俺は狂気の戦争プレイヤーとしてブイブイいわせていた。装備(カード)は普通レベルであるにも関わらず、いざ戦争になったら不眠不休で張り付くニート力と、躊躇せず攻めかかる鬼畜プレイで、1対17の戦争でも片っ端から狩っていき圧勝するほどの狂犬プレイヤーだった。
俺みたいな狂犬ばかり集まった同盟に入っていたから、俺に攻めかかられたプレイヤーは最初から抵抗を諦めて蹂躙されるがままみたいなことも多かった。
しかし俺の入っていた狂犬同盟があまりに強すぎて、大量にいる羊たちが反狂犬の巨大な連合を結成しつつあった時期だった。ちなみに、羊たちの巨大連合の長は漫画家のウヒョ助さんだった。当時は彼のことは知らない。後年知ったことだ。
状況がそんなふうに変化しつつある中、俺のスタンスは何も変わらなかった。以前と変わらず、他の狂犬とつるむこともなく、一人で周り中の羊を相手に戦争し続けていた。
俺には全体の状況なんて関係ない。周囲のやつらを片っ端から狩るだけだ。意味もなく、大義もなく、負ける日が来るまで羊たちを狩りまくる。俺はそんな狂犬プレイヤーだった。
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