阿佐田哲也はどんな麻雀を打っていたのだろう?
大昔(2003年)のことですけど、『色川武大vs阿佐田哲也』というムックが河出書房新社から発売されました。だいぶ文芸よりの本だったんですけど、その中で唯一の麻雀の文章として掲載されたのが、これです。麻雀から見た阿佐田哲也論ですね。
麻雀の神様
かつて阿佐田哲也は、“麻雀の神様”と称されていた。
阿佐田は『麻雀放浪記』をはじめとして数々の名作を書き、 麻雀新選組というグループを結成して麻雀マスコミの世界をつくり出したけれども、そうした功績によって神様という名前を贈られていたわけではない。
若いころは博打場で寝起きし、“関東七番目の男”と呼ばれる麻雀打ちだったという。年をとってそこに円熟味も加わり、ついに“雀聖”や“麻雀の神様”と呼ばれるようになった。すなわち麻雀のプレイヤーとして阿佐田は神様なのである。このキャッチコピーは出版社がつけたものだが、同時代の打ち手たちはこの呼び名通り阿佐田の麻雀を認めていた。
社会評論家であり、第2期名人位にもなっている大隈秀夫はこう書いている。
「阿佐田麻雀の特色は、構想力の多彩さにある。私はつねづね麻雀に哲学や美学を感じない人間は、麻雀を楽しむ資格がないと公言してきた。この意味から推すと、阿佐田哲也氏などは最高の有資格者である」(『麻雀研究』竹書房)
また、作家であり雀豪としても名高かった五味康祐はこう述べている。
「阿佐田哲也のすばらしさはここにある。つねに同じ打ち方で(ドラによらず)手役を志向するマージャンにこそ、品格はあり、私の推賞するゆえんだ。諸君にはこういうマージャンを打つ人になってほしい」(「五味マージャン大学」青春出版社)
そして、新設されたタイトル戦・王位をいきなり連覇し、テレビ東京で麻雀コーナーを担当していた青木博はこう語っている。
「阿佐田さんの麻雀にはストーリーがある。対局者は、それを読んで楽しんだり、真剣になったりする。いや、読んでというよりも、読まされるといった方が適切かもしれない」(『麻雀研究』竹書房)
さらには、阿佐田哲也率いる麻雀新選組に、こちらはマージャン鞍馬天狗を名乗って挑戦した漫画家の福地泡介はこう語っている。
「老獪なのである、あの宿敵は」(『あいつのマージャン』徳間書店)
こうした数々の賛辞を贈られる“麻雀の神様”は、いったいどんな麻雀を打っていたのだろうか。ここでは実戦の牌譜を読むことで、神様の麻雀を追跡してみたい。
ケース1 捨牌づくり
まず取り上げたいのは、阿佐田入門とでもいうべき牌譜である。阿佐田流の打ち方が典型的に出ているといっていいだろう。
『近代麻雀』誌で、阿佐田哲也、畑正憲、五味康祐、青木博というメンバーで行われた「ビッグ4の対決」という企画対局から。『首領(ドン)の麻雀』(竹書房)という本に収録されていた。
牌譜を見ていただくとわかるように、阿佐田はこんな配牌↓に第1ツモで西を持ってくる。
ここで不要の北を素直に切り出す。ここまではごく普通の打牌だが、目を引くのは2巡目だ。切ったばかりの北をもう一度持ってきて、そのまま続けて切らず、なんと4sを切り出すのである。
この手順について、畑正憲はこんなふうに解説している。「阿佐田さんの攻め口も、いつもながら感心せざるを得ない。第1打北で、チャンタの臭いを消しておいて打4s」と。この4s切りは123三色を狙ってのことだろう。
そして3巡目にツモ3s。ここで将来のソーズ待ちを見越しているかのように打8sとソーズを連打する。5巡目に3pをツモって打1p。こうして8巡目に最速手順でテンパイする。みごとな123三色テンパイだが、待ち牌の2sはドラ。放っておいても出やすい牌ではない。それならというわけか、ここで即リーチする。
他の人が打っても同じ手牌になるかもしれない。しかし2巡目に4sを切る手順にはならないのではないか。また6巡目に切った5mが、いかにもダブった5mを整理したようでもあって、その周辺は切りにくくなっている。もっと早く切ることもできた牌を、ほどほどの位置まで引っぱって意味ありげに見せるなど、いかにも阿佐田流の捨牌である。
相手の手牌を読むときに、ポイントとなるのは手出し牌をチェックすることである。手出しとは手の内から捨てることで、ということは手の内に関連する牌だということになる。阿佐田は手の内を悟らせないため、不要牌でもいったん手の内に入れて、必要牌だったごとくカモフラージュする。この局も4巡目の9s以外はツモ切りせず、いったん手の内に入れている。そして手出し牌の最後の3枚である5m・北・中は、すべて手の内にまったく関係ないのである。
このリーチは結果、空テンであり、アガリに結びついていないが、いかにも阿佐田流のみごとな手づくりと捨牌だといえるだろう。
この局の阿佐田の捨牌がこう。
そして同じ最終形になるとして、素直に捨てていけばこうなる。
4s1pという手の内に関連する牌が、リーチの直前まで残ってしまうのが普通の捨牌。それを早いうちに処理してしまうのが阿佐田の捨牌だ。そのコツは三色の材料がそろう前から関連牌を整理してしまうことにある。
その非効率性から現代では否定されている手順だが、こうして名匠の捨牌を見てみると、今でも役立つテクニックを含んでいるように感じられる。阿佐田以後、迷彩が否定されるようになったのは、その非効率性よりも、手順が難しくマニュアル化しにくかったことが大きいのかもしれない。
この時期、一発裏ドラはすでに普及していたが、採用しているグループと採用していないグループが混在していた。ノーテン罰符はまだ普及していなかった。今では捨牌の迷彩に気を遣うよりも、自分のスピードアップを大事にする方が普通だが、当時はスピードアップの重要性はそこまで高くないルールであり、読み合いのゲームだった。
この局の阿佐田流の手づくりと捨牌づくりをキーワード化してみると、「三色狙い」「決め打ち」「関連牌の早い処理」「ツモ切りしない」といったところだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?