なぜ馬場史観一色になったのか?
いやー、昨日のこれ↓は、
この動画↓の通りで失敗したわ。
老人のうんちくになってた。
総論は賛成だけど、各論にちまちまケチつけるって、ほんと老人じゃねーか。総論に必要ない各論の話などいらんて。
じゃあ、どうすれば良かったのか?
記事のタイトルを「馬場史観を斬る」にして、その話だけにすれば良かった。麻雀プロが囲碁将棋を目指したがる話はなし。
それだったら全然おかしくない。今まで誰も言ってない話だし、馬場史観という指摘も本邦初なので、それなら非常に良かった。
そうなると、こういう感想↓は出ないことになる。
史観に興味ない人は最初から読まないし。
では、なぜそうしなかったのか?
黒木さんが書いたことにケチつけるだけってやりにくいじゃん。相手がzeRoさんなら気にせずやってたけど、黒木さんにケチだけつけるって、プロ連盟を出禁になりそうだ(==)ウム
とはいえ、すでにプロ連盟を出禁(共演NG)なんだよな。これより堕ちようがない。
じゃあ何を恐れてたんだ?って話になっちゃうけど、これが負け犬根性ってやつですわ。誰にも忖度せず好き勝手なことを書いてるように見えて、じつはけっこうビクビクしてるのだ。
というわけで共演NGを解除してください。
さて、このコメント↓の通り、
昔のことを知るための資料って本当になくて、馬場史観をくつがえすのって一個人にとっては非常に難しい。
俺自身にしても、最初のうちは馬場史観に疑いを持つことはまったくなかった。というか、麻雀の歴史について関心なかったし、何も知らなかった。
20年くらい前に、麻雀の歴史をテーマにコラムの連載をしてくれって依頼があったとき、嫌だったけど、どうしてもやれと言われ、仕事なので勉強せざるをえなくて、いろいろ調べた。
もう亡くなった浅見了さんという方にいろいろ教わり、いくつか文献を読んだりして、日本の麻雀の歴史について少しずつわかってきた。
だいぶわかってきてから気づいたんだけど、昔のことに興味ある人の関心って光輝く時代に集中する。日本麻雀史でいうと、①菊池寛が日本麻雀連盟の総裁になった時代、そして②阿佐田哲也が活躍してた時代、その2つが輝いてた時代なんだよね。基本その2つの時代のことばっか書かれており、他の時代は薄い。
もうちょい詳しく戦後のことでいうと、(a)戦後の混乱期、(b)報知ルールによるリーチの制定、(c)阿佐田哲也の活躍、という3つがトピックで、それ以外の時期に関しては空白期間みたいな扱いなんだよね。
俺が指摘した馬場史観の歪みというのは、(b)と(c)の間には何もなかった的な扱いだということになるけど、そこはサラッと流されてしまう。
日本麻雀連盟、日本麻雀道連盟、牌棋院の名前はかならず出てくる。その時代には日本の麻雀を完全にリードしてたからね。ただし、その中身はどんな感じだったのかって、どこにも文字化されてない。
なぜなのか?
日本麻雀連盟の理事長を長らく務めた手塚晴雄さんという方が『南は北か 日本麻雀連盟雑史』という本を自費出版で出してる。
1989年刊行だから、古いっちゃ古いし、内容の割にはそこまで古くないとも言える。平成だから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?