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【現代麻雀への道】30 将軍閣下は獄中で麻雀を熱く求めた

麻雀が盛んだった巣鴨プリズン

麻雀は18世紀中国の戦乱の中で確立されたゲーム。その出自からして、戦争とは切っても切れない関係があるようだ。

第二次大戦のあと、アジア各地の収容所では日本人捕虜や戦犯によって麻雀牌が手作りされていた。

なかでも、A級戦犯を収容したことで名高い巣鴨ブリズンでは、麻雀が最大の娯楽となっており数多くの牌が作られたという。

巣鴨プリズンは戦前の日本を戦争に導いた(とされる)A級戦犯たちの収容所だ。彼らは昭和21年5月から始まった東京裁判で裁かれ、一年半を経て7名が絞首刑になった。その判決のあと昭和24年から昭和25年にかけて、麻雀はもっとも盛んになっていた。

巣鴨プリズンで麻雀が盛んだったことについて、あちこちに記述が残されている。

昔の将軍閣下たちがなかなか熱心であった(中略)。つかまっては大変と逃げまわる者が多かったが、それでも閣下とやれば賭けた煙草は絶対にとれるので、煙草ほしさにお相手する者も少なくなかった。 (「中央公論」昭和27年5月号)

彼らは「なぜそこまで?」と聞きたくなってしまうほど、圧倒的な熱意と根気によって木製牌を手作りした。なにしろ第1号牌は自殺防止のため刃物の持ち込みが禁じられた環境で作られたのだ。ノコギリもノミもなく、どうやって作ったというのだろう。

最初の牌が完成したのち、獄中に作業班が生まれ、その中の大工班が中心となって数多くの木製麻雀牌を作り出していった。

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