【現代麻雀への道】3 世界ブームの震源地!魔都・上海
麻雀は英米でも大ブームに
麻雀というビッグウェイブに包まれた昭和初期の日本だったが、その波はイギリスとアメリカをも飲み込んでいた。イギリス麻雀連盟やアメリカ麻雀連盟が結成され、高価な麻雀牌が飛ぶように売れたという。
ミステリーの女王、イギリスのアガサ=クリスティが大正15年に書いた『アクロイド殺人事件」には、「麻雀のタ(ゆうべ)」という章があり、天和を和了るシーンまで出てくるのだ。
このブームの震源地となったのは中国の上海だった。当時、上海には外国人がどんどん移り住んできており、彼らが牌を持ち帰って飛び火したのが欧米各国の麻雀ブームというわけ。
当時の海外渡航はすべて船だった。上海からイギリスまで約2カ月、アメリカだって1カ月弱。みんな暇で暇でしょうがない。
「1s1s1sだって1s2s3sだって3枚ずつ集めればいいんだよ。あとは頭を一つ。点数は教えてあげるから」
船員に指導され、それまで麻雀を知らなかった人も上海に着いた頃にはいっばしの麻雀中毒になり、上海麻雀倶楽部などのサロンに入りびたる。長い船旅が、麻雀大好き人間を作り出す合宿となったのだ。
アメリカと上海を結ぶ太平洋航路には日本に寄るルートもあったのだが、その船中は朝から麻雀三昧(ざんまい)で、前天皇陛下が麻雀している写真も現存している。
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