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須田エッセイはどうすれば良くなるか?

ダースーがフリーペーパーにエッセイを書いたという。

読んでみたら、なんという凡庸!  んでダースーに文句をつけた↓

すると、こんな返事が↓

余計なお世話なので、いったんは引き気味↓

ダースーの返事はこう↓

結局はダースーが言ってることにまったく納得してないという↓

さて、このエッセイはどう変えると良くなるのか? 勝手ながらそれをやってみよう。

もちろんダースーには無許可です。著作権的には問題あります。

まず全文です。段落ごとに数字をつけてます。

東大出身プロが教える麻雀のおもしろさ

(1)私は麻雀プロという東大の卒業生としては異色の経歴を持っています。
(2)ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、現在はMリーグという、企業がスポンサーのプロリーグがあり、その在籍選手は三〇名ほどです。私は彼らMリーガーとは異なり、一般社団法人の麻雀プロ団体というものに所属し、年会費を払ってリーグ戦に参加しています。
(3)Mリーガーには年棒が保証されますが、私たちは対局による収入というものはほとんどありません。それぞれが、麻雀店に勤務したり、戦術書やコラムの執筆、麻雀漫画の原作や麻雀教室の講師という形で口に糊しています。そうした「Mリーガーではない麻雀プロ」が、全国に二〇〇〇人以上はいると思われます。Mリーグができたのも三年くらい前の話で、それまで私たち全員が、手弁当で麻在の普及に努め、戦術の研究・考察に取り組んできたのです。
(4)とはいえその二〇〇〇人全員が年俸のある夢のようなMリーグを目指しているかというと、決してそんなことはないと思います。ただ単に、麻雀が何よりも好きだから続けているという人間がほとんどかもしれません。
(5)私は大学生のときに友人に麻雀を教わり、ひとりで麻雀店に行くようになりました。麻雀店では、見知らぬ四人で一つのゲームを行うんですよ。老若男女、さまざまな人がいます。私は当時二〇歳そこそこの若造で、世間のことを全く分かっていませんでした。いろんな生活をしていて、いろんな性格の人がいる。どのようなことで笑い、怒るのか。厳しい人も、優しい人もいます。しかし、それがその人の本質ではないことも分かります。優しい悪人も間違いなくいるのです。
(6)見知らぬ人と勝ち負けを競うゲームで、何を疑い、何を信じればいいか、自分の人生にこの人はどのように関わってくるのか。その中で自分はどのような立ち居振る舞いをすれば居心地が良くなるのか。そのようなことを私は、麻雀を通じて学んできました。私は麻雀プロになって、麻雀店の群像劇を描くエッセイや漫画原作を書くようになりました。麻雀が好きな人というのは、結局のところ人間が好きなのかもしれません。
(7)運不運がかなり介在するゲームです。複雑ですが、誰だって上級者に勝てることがあります。楽しいことも悔しいことも、何十年やっても混在するのです。
(8)「そんな理不尽なゲームを、なんでアンタもやってんだい? まあまあ一緒に楽しもうか」と、初めて会う同士でも興味を持ってしまう。たとえMリーガーではなくとも、そんな麻雀のおもしろさを伝えていくために、私たちはいるのです。

たるいよなー。このエッセイで何がいけないかというと、②③④の部分なんだよね。麻雀プロの世界ってよくわからない。こんなの読んだって1ミリもわかるわけがない。

そもそもさ、知らない世界の概説を読んで面白いか? そういうのを面白いと思うのって、その世界に興味を持ってる人だけじゃないか? 一般社団法人がどうとか面白いわけねーだろ。

麻雀プロの説明で一番大事なのは、給料が出ないこと。それを説明するのに「会費を払って競技麻雀サークルに所属しプロを自称してるだけ」という説明が一番マシかなって思うけど、自称みたいな書き方をすると団体に怒られてしまう。賭けのことも書けない。わかりやすい説明は無理なんだよね。

中田花奈さんとか、麻雀プロの世界を他方向から説明することもできるはず。ダースーはそっちのマスコミ的な道を選ばなかった。とはいえ、②③④みたいなお役所文書的な説明をされると、大半の人は「たるいわ」と途中で読むのを止めるんじゃないか。

じゃあ、どうすればいいのか?

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