【現代麻雀への道】16 麻雀と賭博の微妙な関係
高まる麻雀ブーム、そして警察は?
麻雀と賭博の微妙な関係、それが今回のテーマである。
そもそも中国では、麻雀はたんなる博打にすぎなかった。日本に伝わったときから礼儀と作法にのっとって「対局」するものになったのだ。
昭和初期には対局前に一礼することがお約束だったし、勝つことにこだわる人は雀品が低いとされた。麻雀のレベルを語るキーワードが「品格」だったといわれると、明らかに現在とは違った発想が感じられる。
その一方で、麻雀は金を賭けるのが当たり前のゲームでもあった。ギャンブルの臭いもつきまとったのである。
昭和4年から5年にかけて、麻雀は一般大衆に広がっていく。その現実に対して警察は「麻雀亡国論」を唱えて、退廃的ムードを高める支那賭博だと麻雀をみなしていた。
見せしめとして選ばれたのは作家などの有名人で、広津和郎(作家)、東郷青児(画家)、宇野千代(作家)、久米正雄(作家)といった面々が警察に出頭させられた。けれどもその事件によって、麻雀は文化人の遊びというイメージがいっそう強まり、ブームの火に油をそそぐ結果となった。
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