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とある東大法卒の人生

大学時代のダチの話。今は58歳か59歳。男性。

大学では自主ゼミってやつで一緒だった。自主ゼミとは、単位にはなるけど必修選択にはならないから、取っても取らなくてもどうでもいい単位で、サークルみたいなもん。

公害問題などについて考えるのが活動内容だったけど、実質的には酒飲みサークルだった。夏休みにみんなで水俣に旅行に行ったりしたから、公害を考える系の活動もあったな。

そこで一緒だったやつ。

灘卒。東大文Ⅰ→法学部。

灘では珍しい文系で、関西人的な「世の中すべて金や!」という空気感は全然なかった。

むしろ逆だったな。ひたすらさわやかだった。女関係もギラギラしてなかった。

俺もそうだし彼もそうだけど、世間はバブル期だったのに全然ギラギラしてなくて、何も恩恵を受けず、崩壊のショックもなかった。

彼は司馬遼太郎を大量に読んでて、そういうのって利口ぶってる東大生からは少し馬鹿にされる。俺は司馬遼太郎なんて歴史マニアのガキか脳死したオヤジが読むもんだろって思ってたから、のほほんとしやがって、さわやか野郎め!と思ってたな。俺がその歴史マニアのガキで、中学生のとき読んでたのが司馬遼太郎だったから。

俺とはまーまー普通の関係。親友ってほどじゃなく、ときおり一緒に酒を飲む間柄だった。

留年しまくった俺とは違って、彼は4年で卒業し、三菱銀行に入った。当時はまだ合併してなくて、UFJとかついてなかった。

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