プロ連盟・森山会長、火がボーボー
森山茂和会長の炎上事件が起きていた
昨日は1日出かけてたんだが、その間にツイッターのTLで、森山会長の話が盛り上がっていた。最強戦の解説に森山さんが呼ばれ、そこでした解説が不愉快すぎると話題になったんだな。
敏腕ユーチューバーうに丸さんが、さっそくそこだけ切り取って投稿してくれた。
ツイッターで「森山 解説」で見ていったら大量にあった。代表を1つだけ貼ると、こんな感じ↓
んで、それについて俺の個人的な意見を。
形テン軽視
麻雀プロ間の常識として、形テンを2500~3000点の点棒獲得行為とフラットに考えるようになったのって、5年くらい前なんだよな。
今の認識としては、メンピンツモくらいの大きさの点棒獲得行為であって、アガリより価値が高いとか低いってない。見方がフラットになった。それ以前は軽視する見方の方が強かった。
5年くらい前、ど終盤に期待値的にプラスなら形テンのためリーチに無筋を押すこともあるという戦術が一般化した。
麻雀の戦術はどんどん進化してるという認識じゃない人は、こういうのについていってない。最強戦の解説陣では、梶やんとかバビィもこういう認識はないと思う。彼らは現代麻雀に興味ないから。彼らですらそうだからね、ましてや森山さんが形テンを軽視するのは当たり前な感じ。
もちろん今風の麻雀の考え方からすれば間違いだ。形テンはそこそこ大きい。この実戦の場面でも、形テンを取れるか取れないかの差は決して小さくはない。
メンゼン重視
森山さんは小島武夫さんの弟子。共通する部分として、むちゃくちゃメンゼン志向。鳴く人は嫌い。
メンゼンで進行するのが麻雀の「ほんと」。必然の鳴きならいいけど、不適切な鳴きが入ると場が歪む。そういう考え方をしてる。
たぶんね、昭和30~40年代にメンゼンが本当って価値観がえれー強くなったんだよ。だから、その時期に完先というルールも生まれた。
それくらいメンゼン重視だから、鳴いてテンパイを取るのはえれー不自然な行為だって感じちゃうんだよね。
以前、タッキーがハイテイずらしせず優勝を逃したのはいさぎよいとされ、昨日の形テン取りで親ハネをツモらせたのは、敗者が勝者を作ってしまった、となる。
麻雀プロを辞めた方がいい
よく言うよな。そんなら麻雀プロの実力を見せてみろよ、としか言いようがない。口じゃなくて結果で見せろよと。
現役時代に全然たいした実績もなくて、こういうことを平然と言える神経はすごい。その自分をかえりみる姿勢のなさこそプロ連盟だってイメージだわ。俺的には。
選手がみんなそうだって話じゃないよ。上層部がその文化を強引に浸透させようとしてる姿勢があるという話。
敗者が勝者を作るのは止めよう発言
これも「メンゼン進行の正しい麻雀」があって、変な打牌とか鳴きをすると場が歪んで、本来とは違った勝者を作ってしまうという世界観だ。
流れてたコメで「場が壊れるなんて天牌以外で初めて聞いたわw」というのがあって、面白かった。俺は百万回くらい聞いたフレーズだわ。昔ね。90年代まではみんなそんな感じだった。
TV対局系って、ザ老害みたいな人が解説として出てきて、ハイテイずらしとか形テン取りに対して強い拒否反応を見せ、すげーなんのかんの言う。若手にとっては、けっこうやりづらい場だわ。
麻雀観の古さは直らないか?
麻雀に流れはあるかないかって、麻雀だけ打っててもわからない。どっちかって、麻雀だけ打ってたら、あると考える方が自然なんじゃないかと思う。だって最近バックギャモンやってて、流れあるよなーって思うもん。サイコロはそういう構造になっている・・・というより、われわれの脳って乱数に流れを見出すようにできている、という方が正確だろう。
流れって変じゃね?と思えるのって、知性、理性、常識の力によるもの。麻雀絶対主義だと、そう考えられないんだよね。プロでも、麻雀だけやってるんじゃなく、常識力が必要ということになる。
俺が20年くらい前から思ってる仮説で、われわれが流れを感じるのは仏教徒だからで、キリスト教徒やイスラム教徒は流れを感じないんじゃないか。これは世界観の反映だから。・・・というのがある。
20年経ってもその仮説が正しいかわからない。その間に、流れ派はだいぶ減ってしまった。絶滅前に一神教の人たちに聞いてみたい。キリスト教やイスラム教の発想では、人間が神を理解しようなんておこがましいので、そこに法則を見出そうとはしないんじゃないかなーって。
若いころ、世代によって考え方が違ってるのは当たり前で、俺だって若いとき急進派にいるけど、年を取ったら保守派の側に入るんだろう、と思っていた。だから、若いときはデジ派として流れ派を馬鹿にしてるけど、年を取ったら、後に現れてくる新しい考え方の人たちに、旧式の発想しかできない人として攻撃されるんだろうと思ってた。
しかし、実際に年を取ってみたら違ってたわ。年齢よりも意識の方が大きい。むしろ、自分より若い人たちが、俺はもうこれでいーわと、バージョンアップする気をなくすのを見ることが多い。
予想して恐れてたよりもずっと本人しだいなんだな。頭が固い、世界観が古いのは本人の責任なんだなって今となっては思う。
なので、昭和の麻雀観を全開してる人って、頭が悪いか、本人が割り切ってしまったかじゃないかと思う。誰しもいずれ老いた側になる・・・というもんじゃなかった。少なくとも麻雀においては。
他団体の人たちは何か言えないの?
現場でも、ツイッター等のネット上でも、プロ連盟の運営方法とか森山さんの発言や行動について、とやかく言うことは禁止されている。所属団体で。
どの団体もプロ連盟ともめたくない。だから、もめる要因を作るなと通達されており、ちょびっと何か書いたりすると、あとで叱られる。
ジャイアンに気を遣って、スネ夫が勝手に自粛令を出してる感じ。なので、万一その場で誰かが反論したとしたら、その人はあとで自団体の上層部から叱られる。
こういうところが麻雀プロは自由じゃなさすぎる。だからアウトプットがつまらなくなる。
そしてプロ連盟内部で、麻雀観的に逆らうようなことをいったら恐怖の結果になる。森山さんにおいて、プロ連盟員であることと麻雀観が違うことは分けられない。麻雀観が違うという表明は、プロ連盟内での未来をすべて捨てることになる。
老害解説は呼ぶべきじゃないか?
じつは、今まで書いてきたこととけっこう矛盾する。
まずね、こういう解説をするのってアホだなーとは思う。こんな理由から↓
アホな解説することで、自分とか自分の団体とか自分の業界を落としてるじゃねーか。誰も得してねーよ。
ただね、その一方で、森山さんだからしょうがないとも思う。つかね、予想してたより穏やかだったわ。激高して怒鳴りつけるみたいな感じじゃなくて、静かに語ってる。内容も、俺からすると森山さんの平常運転にすぎない。
それに対する拒否反応の強さ。これは時代だなーと思った。〇〇ハラスメントってのをむっちゃ気にする時代ならではだ。
俺的には仲良し解説はあまり面白くない。たとえ極端な意見でも、ズバッと言ってほしい。なので、こういう意見↓もわかる。
炎上するときってアンチが目につくけど、こういうサイレントマジョリティがいるんだよね。例えば石原慎太郎。ズバズバ言うことで人気があった人だ。元妻が仕事で面倒を見てた人(60代♂)が石原慎太郎好きで、なるほどなー、こういう感じで好きな人がいっぱいいるんだって参考になった。
非常に差別的な物言いでも、自分の言葉で本音をズバズバ言う人って人気が出やすい。竹書房が森山さんを解説に呼ぶのも、人気あるんだと思う。竹書房は、プロ連盟を切ることはできないけど、森山さんをかならず解説に呼ばなきゃいけない立場ではないから。
だから、俺的にはこういうことをズバッと言うのは好印象だし、そういう意味で森山さんのことも嫌いじゃないんだが、今回は内容が悪すぎる。森山さんはいつもこうなんだけど。
自分の予測が外れまくっていても、そういうのは気にしない、あるいは認識してないんだろう。誰か、予測の当たり外れリストを作って突き付けてやれよ。
麻雀への熱意は強くて、勉強会では、実戦に即して流れに沿って打ったらどうだったか牌譜検討をよくする。そして、やはり流れに沿って打つのが正しいという結論をいつも出している。そんな話を聞いたことがある。
時代がソフトさを求めるように変化してる中で、俺はそうじゃないというズレを感じたわ。今は世の中全体的に老害への拒否反応はこんなに強いのね、という。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?