【現代麻雀への道】6 昭和のはじめに雀鬼がいた
高レート麻雀で無敗伝説を持つ男
今回の主人公は、昭和初期バージョン伝説の雀鬼である。実情は謎だらけだが、麻雀に生き、麻雀に死んだ、そんな人なのだ。
その人の名前は沼崎雀歩(ぬまさきじゃんぽ)。これは雀ネームだ。「牌価値論」という戦術論によって麻雀史に名を残している。
彼には派手な伝説があって、 若いころに中国大陸を放浪し、 各地の金持ちと信じられないような高レートの麻雀を打っていたという。
アラブの大富豪と干点百万円の麻雀を打つことを考えてほしい。むこうにとっては気楽な遊びだろうが、こちらはマンガン放銃1回で飛んでしまう。
沼崎氏はそんな修羅場をくぐりぬけてきた実戦派だった。
昭和初期、創設ほやほやの日本麻雀連盟が、沼崎氏に入会してくれと依頼した。それも8段が最高位だった当時、9段にするという破格の条件だった。しかし彼はその話をけってしまう。 そして麻雀で決着をというわけでもないだろうが、高段者が対局に出向いたところ、子ども扱いで敗れたという。
彼は団体を作るという発想自体が嫌だったようで、麻雀団体に入ることを生涯こばんだ。
孤高の高みに一人立つ強者で、 その反面やや殺伐としている、 そんな人間像が浮かぶだろう。
それほどの人が書いた戦術論なら、さぞすごい内容だろうと思ってしまうが、じつは強さとはあまり関係がない。
彼は本業が工学関係の人で、「牌価値論」とは牌の価値を数学的に比較するものだった。124とあったら1を切るのがよい。なぜなら5を引いたときにリャンメンになるから、といった類の論文なのだ。そういった視点から、あらゆる組み合わせを解析しようとした。それが「牌価値論」の中身なのである。
困ってしまうのはあまりにも厳密すぎることで、つまり彼は実戦とは違う側面、麻雀計数学とでも呼ぶべきジャンルの研究者だったのだ。
孤高の強者でありながらマニアックな研究者。イマイチぴったりこないふたつの横顔に、彼の素顔がぼやけてくる。
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