開成vs東大文3
いつも愛読してる東大出の学歴廚が、東大文学部卒の進路について記事を書いていた↓
それが俺の感覚とはけっこう違ってた。
俺は自分の身の周りの人しか知らないし、昔と今の違いもある。今までの彼の記事の印象からすると、俺の知る少ない実例よりも彼の観察のほうが正しそうな気がする。
しかし俺の観察も実地で見てのものだから、これはこれで真実でもある。そこで今回は、東大文3のフランス語クラスの同窓会と開成の学年会に行ってみた感じた違いについて語ってみよう。
俺は1984年入学文3で、入学時のフランス語クラスの同窓会がコロナ前くらいの時期にあった。50歳を過ぎると、みんな他の同期はどうしてるのか気になり始めるようで、中学や高校や大学の同窓会がいきなり増える。
出席者は20人弱くらいだった。約40人のクラスで半分が出席というのは、かなり出席率が高いんじゃないか。かなり仲いいクラスだったからな。
女性が3分の1いたから、当時の東大では女性比率が一番高かったんじゃないか。それも仲の良さの一因になってる。
そこで会ったかつての同窓生たちの進路はどうだったか。
いかにも稼いでますよー、東大出のエリートですよーって感じの人は全然いなかった。明らかに給料がいいだろうと思われるのは読売新聞でかなり偉くなってるやつくらい。いや、じつはいるのかもしれんけど、少なくとも外銀、外コンみたいな世界の人はいなかったからな。
びっくりするくらい多かったのは大学の教官だ。出席してなかった人にもいっぱいいて、3分の1くらいいたんじゃないか。
このクラスは1984年入学だから、ストレートに行ったとしたら修士進学が1988年。博士が1990年。人文系が激しく収縮していく90年代末から00年代より前に職にありついているだろうから、後の世代よりは有利だったはず。それでも、人文系というのは金や権力よりアカデミズムに価値を置く集団だから、当時から大学の教官を最上の職業と考える価値観は強かった。そういう世界にあってこの率は異常だ。こんな集団は東大文3しかないんじゃないか。人文系の世界では東大文3は最強なんだな。
そういえば、学部3年か4年のとき、大学で行われた学会を覗きに行ったことがあった。教育史学会だったと思う。発表者はほぼ旧帝国立大学の修士や博士の人たちだった。
教育学部って日本中の大学にあるけど、大半は教員養成系であって、教育を研究しようって内容じゃないんだよね。東大では教育学部は文学部から枝分かれしてできたもので、教員養成ではなく研究を目的としてる。こういう教育学部は少ない。
発表者の中に1人だけ、関関同立だった気がするけど、学歴的に劣る人がいた。その人のレジメを見て、レベルの低さにあきれてしまった。どっかの藩校の小さな歴史的事実を調べたみたいな内容だった。普通さ、研究というのは、その事実から教育史全体に関わるどういうことがわかるか、大きな射程を示すものでしょ。それがまったくなかった。これで通るんか? なんかこじつけろよ、と思ったわ。ああいう実例を考えると、東大文3最強というのもわからなくもない。
話がそれたな。文3卒の進路に戻ろう。
他に印象的だったのは、新卒で入社した会社にそのままいる率が信じられないほど高いようだったこと。あくまで印象だし、同窓会というのは社会的な状況がいい人たちが出るものだから、どこまで正しいかはわからない。
まさにバブル世代なんだよね。就職は超良かった。しかし就職が楽だというのと、その後の社会人人生が楽だというのは違う。ほとんどの人は新卒で入ったJTC(日本的伝統企業)にそのまま何十年もいるって、俺からすると信じがたい世界なんだけど、これは東大とバブル世代の合わせ技なんだろうか。
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