【現代麻雀への道】32 戦時下の麻雀
麻雀ではなく卓技! 本気で言ってる?
われわれの使う麻雀用語はほとんど中国語から来ている。この用語が日本語に統一された時期がある。
たとえばツモを「引き上がり」、ロンを「当たり」などと発声していた時代があった。それは日本麻雀史上で最大の谷間ともいえる戦時中のことだった。
第二次大戦中の敵性語禁止をご存知だろうか? 戦時中は敵国の言葉だという理由で英語の使用が禁止された。日常的に使われる英語はすべて純粋日本語(?)に直された。レコードは「円盤」に、バッテリーは「蓄電池」に、パーマネントウェーブ(頭にかけるパーマ)は「電髪」となった。
敵性語狩りは麻雀まで押し寄せる。
当時、麻雀の置かれた立場は非常に悪かった。麻雀しているだけで非国民扱いされてしまう時代だった。そこで業者たちは中国語も敵国の言葉だと自粛して、自分たちで用語を日本語に改めた。麻雀は「卓技」とされ、彼らは「卓技商業報国会」を結成した。
このときポンやチーはどう変更されたのか? また天和は「てんわ」と読むことで妥協したのか? そうすると大三元は日本語読みだから通されたのか? そういった細かい部分はわからない。ポンとチーは「縦」と「横」になったのかもしれないし、「そろい」と「並び」だったかもしれない。
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