![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/31637786/rectangle_large_type_2_f716276a713e8bb6af9008443be87321.jpeg?width=1200)
「子供は放っておいても育つ」の意味
「子供は放っておいても育つ」
私の親も、20年同居していた義理の親からもこの言葉は、随分よく聞いた言葉だなと記憶する。
確かに オギャーと子供が生まれて 日々成長目まぐるしく大きくなっていくし、体も確実に大きくなり、時が来れば小学校 中学校 高校 大学 そして成人となる。
親は体の成長が目の前で見られる喜びがある。それは、親としての喜び。生まれてきてくれてありがとうとも思える。自分もそうだったなと思う。
でも 「子供は放っておいても育つ」 この言葉に私は凄く疑問を感じる。
心身共に大きくなると言う観点からすると身体だけ大きくなって大人になっても、心の部分は育っているのだろうか?と思う。
ヒロさんを見ていても、日々の生活でそう思うことがある。
寂しい気持ちがいつも何処かにある。強がる言葉は言うが。俗に言う威嚇。
自分の行動したコトは聞いてもらいたい 家族に褒めてもらいたい気持ちが、会話の中で凄く感じられる。
そして、私はと言うと小さい時から自分の話しを聞いてもらえなかったところがある。どうしても、何もかも自分の中で自分で理解しなくてはならない環境だったと思う。例えば、風邪をひいたら、母親が「風邪を引く あなたが悪い。」と病院に連れて行ってくれなかったりした。病院も習い事の習字も小学校4年生から一人30分バスに乗り行った記憶がある。
ある本を読んだ時、大正と昭和時代は ほとんどのおうちが機能不全家族で、ACであり、共依存の環境であったと書いてあった。ホントそう思う。
そして、高度経済成長でお母さん達が社会進出し働く様になり、時間が無いために「暮らす」コトを合理化し始めた。形は家事 育児を楽にと言う考えのもと、社会進出中心の考えになってきた。
「暮らす」を中心とした思考ではなく、仕事に行くコトが中心になった。
その結果何が起こったかと言うと、時代背景は色々あるが、子供の反乱、家族間の問題、家族崩壊などなど、「暮らす」コトでの問題が増大してきたと。それも納得した。
大体悩んでいる年代が、40歳代から70歳代あたりが問題を抱えているとも書かれていた。私も福地家の問題のコト、家族会を5年間してきて、本に書かれていたコトそのまま全て納得するものだった。
高度経済成長が落としてきた置き土産だといつも感じてきた。確実に心の後遺症を持った世代でもある。
でもこのままでは、家族が壊れて行くよね。
もうこの辺で、どうにかしないと。
「子供は放っておいても育つ」凄く怖いコト。
心が育たないまま 幼児性のあるまま体だけ大きくなる。心身共に大人になる。どれだけ意識を持って、「暮らす」コト中心に考えられてきたのか。自分を含め意識 思考を変える時代にきていると本を読んでさらに思った。
危機感は凄くある。これでいいのか。
自分以外の外に目を向けて批判している時代ではなく、もう一度自分の心の成長の見直しと「暮らす」に意識を持つ大切さを感じるコトを本を通して学んだ。
生きるコトは全て学びである。
気づかせていただけたコトに感謝である。
いつも最後まで読んでいただきありがとうございます。私的の気づきを日記とし綴っていきます。