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「ワーク・ライフ・バランス」について個人的に思うところ

 2023年2月3日に富山市役所で行われた職員研修「仕事と家庭生活の両立支援セミナー」において、「ワーク・ライフ・バランスについて個人的に思うところ」と題して約30分間話をしましたが、その際にレジュメとして用意したものがこの文章です。


1 「ワーク」(仕事)と「ライフ」(私生活)の「バランス」?

  まず、切り分けがおかしい。
  私の考えでは、少なくとも以下の4つの切り分けが必要なはず。

①睡眠、食事、排泄等、生理上最低限必要な行動
 特に睡眠不足は脳に打撃(飲酒同様)。睡眠は人間の行動全ての基礎
 睡眠時間削って働くとフォーマンスが落ちるのに何故称賛される??
 国際比較で睡眠時間が明らかに少ない日本人の生活態度は非常に危険
 寝不足の構成員からなる組織に良いアイデアが生まれるはずがない
 親が寝ないと子も寝ない。脳の発達が阻害され、世代を超えた負の連鎖に

②いわゆる「仕事」=賃労働
 金を稼がないと他の活動が成り立たないが、基本的には苦痛をもたらす
 懸命に取り組めばやりがいや達成感が生まれる局面もあるが、ごく一部
 にもかかわらず、社会的有用性の評価は、賃労働が独占
 賃労働におけるポジションが、その人の社会的評価と直結

③家事労働(無償の労働)
 賃労働を継続するには、生活全般を支える家事労働が必要
 本当はこれも「ワーク」だが、何故か「ライフ」側に位置付けられる
 現在の日本では、主として女性が無償で担う。このため賃労働に専念して稼ぐ男性との経済力の格差が固定化し、女性自体の存在価値が低いという偏見の根拠にもなる
 家族(という名の他者)に直接的に役立つ行為であるにもかかわらず、社会的な評価は極めて低い
 その評価の低さが、担い手である女性の幸福感を大きく損ねる
(せめて受益者たる同居家族は高く評価する義務を負うはずだが…?)

④家族と過ごす休息、個人で過ごす趣味等の自由時間
 社会的地位の向上には全く繋がらないが、
 人の生きる喜びは、基本的にこのカテゴリーに来るはず
 ここが<目的>であり、労働は<手段>に過ぎないはず
 賃労働の継続(労働力の再生産)のためにも、自由時間が絶対に必要
 賃労働における新しい発想、新しい知見は、自由時間がもたらす
 ここが貧弱だと賃労働の苦痛は増し、生産性は上がらず、革新もない
 世界的に賃金が大きく伸びる中、日本が横ばいか微減に止まる原因にも
 個人的には、このカテゴリーに属するアニオタ活動は、「弁護士」も「公務員」も関係なく、年齢も問わずに同好の士とフラットな関係を結び、一人の人間として自己を表現する場所である。「このために働いてる」

 「ワーク・ライフ・バランス」というと、「ワーク」とされる②が暗黙のうちに最も重視され、「ライフ」とされる①・③・④は、3つ併せてようやく1つ分にしか扱われない。しかし、このバランス感覚こそがおかしく、問題の所在。
 一般に、個人の幸福感にとって、前者より後者の方が重要であることは明らか。
 私の感覚では、 ④ > ① > ② = ③
 賃労働は人生のごく一部の要素であり、本来は手段に過ぎない。にもかかわらず生活を覆い尽くせば、幸せを感じられる人生には絶対にならない。
 すなわち、「バランス」の問題ではなく、「日本の賃労働が長すぎる」「これをどうやって短縮するか」という問題である。

2 仕事のやりがいは結構だが

 仕事(賃労働)には苦行の要素が多々ありつつも、難しい問題に一生懸命に取り組み、それを乗り越えることで得られる達成感や充実感、自己効力感は、自己実現の大きな要素となる。
 問題は、そのような自己実現を謳歌しているのが、家族のうちの特定メンバーだけであり、それが他のメンバーの犠牲の上に成り立っているという構造。
 多くの日本の夫婦では、男性が思う存分に仕事をすることで経済的力・社会的評価・プライド・自己実現を得る一方、女性が家事労働(とりわけ負担が絶大な子育て)の大半をしわ寄せされることで心身を疲弊させ、にもかかわらず低く下に見られ、自己肯定感を得られず、悶々とさせられる現実がある。
 人生の大半を同じ屋根の下で過ごすパートナーの一方が、悶々とする日々を送っていたら、他方の人生も明るく豊かになるはずがない。
 そもそも、仕事と家事(特に子育て)は、どちらが物理的・心理的に大変か?
 両者を実際に経験してみれば、自ずと正解は明らかである。にもかかわらず、自信たっぷりに誤答する日本の男性が如何に多いことか。
 このような「使えない男」の再生産を防ぐためには、私の考えでは、少なくとも以下が必須。
・自分のパンツは自分で洗い、干し、取り込み、たたみ、収納し、着る時に出す
・出産に立ち会い、男性産休を取り、最初からうんちの付いたオムツを替える
・父の育休期間はできるだけ長く(月単位)、母の育休期間はできるだけ短く
 他方、日本の女性も「完璧な家事」の呪縛を意識的に断ち切る必要がある。
 例えば、掃除が行き届かなくても、モラハラ体質でない男性はあまり気にしないが、女性は往々にして「世間の目」を内面化させ、無駄に労力を投入し、あまつさえ「下手」「かえって手間」「私がやった方が早い」と男性を排除してしまう。
 互いに相手をかけがえのない存在と肯定し、許し合うのが夫婦でしょ?
 なお、私の女房は掃除も整頓も下手だったので、交際中から私が彼女の部屋の雑巾がけをしてました(笑)。当然、今は自分の所属の隅々まで掃除してます。

3 賃労働の時間短縮の現在の必要性

 従来の日本の組織は、心身共に壮健な男性労働者(専業主婦付き)を構成員とする暗黙の前提があり、決まりきった業務を体力勝負で乗り切るカルチャーを形成していた(特に人減らしの中では)。
 しかし、現在は、公正に選抜すれば、女性が当然に相当部分を占める。
結婚、出産、育児、介護といったライフイベントに付随する家事労働が、主として女性の負担とされる日本社会においては、女性職員が増えれば、職員数が増えない限り、組織に投入される労働量の総計が減るのは必然。
 世帯のサイズも縮小しているため、高齢者の増加とは逆に、介護の担い手は減少する。「娘が」「長男の嫁が」という介護の定式は崩壊し、「働き盛り」の中年男性が親の介護を迫られる場面も否応なく増加する。単身世帯の非婚男性(増加)は、ライフイベントに乏しくても、当然日々の家事労働をしなければならない。親と同居する非婚男性(増加)は、若いうちは母親に家事労働を押し付けられるが、その代わりいずれ介護から逃げられない。配偶者のいる男性でさえ、女性の就業率の上昇と意識の変化により、今後は家事労働全般から逃げることは難しくなる。各個人にとって、24時間の中で家事労働が占める比重が増し、相対的に賃労働を縮小せざるを得なくなるのは、必然的な流れである。
 これを組織論から見れば、様々な時間的なハンデを持つ構成員を与件とし、個々の強みと弱みの噛み合わせの工夫によって組織を何とか回していく、つまり本来の意味でのマネージメントを機能させる必要性が強まるばかり、ということになる。もはや年功制のお陰で座ってるだけの管理職は障害物でしかない。
 既存の価値観に胡坐をかいて「昨日あるがごとく今日ある」体質の組織は、少子化の中で必ずメンバー獲得競争に敗れ、持続できないことは確実である。
(しかし富山市という組織は100年後も健全に継続されねばならない)

4 市民サービス「としての」時短

 職員が長時間労働で疲弊していては、市民一人一人の事情に寄り添った人間味のあるサービスは到底できない。徹夜続きの医師が引き起こす医療過誤や、ワンオペ夜勤の介護職員を想起すれば、サービスの受け手にとって、サービスの担い手の心身の健康の重要性は、誰の目にも明らか。
 一部の納税者には、職員が不幸せな表情をしている方が受けが良いかもしれないが、客観的な市民全体の利益には反する。
 人口が減り、税収が減り、職員が減るけれども要支援者が増える中で、組織の生産性を劇的に高める新しい発想が常に必要とされている。これは、構成員の十分な睡眠・家庭・自由時間がなければ、決して生まれない。
 また、職員も職場を離れれば一市民であり、その時間は、一市民の目線で仕事を見直す機会にもなる。職員が役所に閉じこもっていては、市民のニーズを的確に把握することもできないし、そもそも人間同士の共感を持って接することができなくなる。
 職員が一人の人間として幸せでなければ、市民を幸せにする仕事はできない。

5 業務プロセスの「価値」

 前任者がやっていたとおりにやるだけでは、業務量は減らない。
 もちろん若手職員には、優先順位の低い仕事を切り捨てる裁量はないだろうが、同じやるにしても、どうやったら効率的に、つまり「楽に」できるかを常に考えるべき(印鑑廃止の流れを想起)。
 手間暇かけて苦労すること自体に価値を感じるのは倒錯であり(仕事は趣味ではない!)、法令に反しない限り、同じ結果なら楽な方が正しい。
 例えば、会議の持ち方(綿密なシナリオを作ってそのとおり演じることに何の意味があるのか?)、資料の作り方(内部検討用資料をプレゼンソフトで化粧することに何の意味があるのか?)、業務の可視化・標準化(業務が属人化し、誰かが休んだら止まるようでは、組織の体をなしていない)。

6 若手職員に求められる「はみ出す」勇気

 とはいえ組織のマネージャー層(昭和人)は長年の体質を容易に変えられない。
 自分が若いころに滅私奉公していれば、今の若手(特に男性職員)にも無意識に同じことを求めてしまう。「年休、育休とか仕事なめてんの?」
 この点、若い職員が「上意下達」「空気を読む」カルチャーに自発的に同化し、唯々諾々と長時間労働に勤しむ(その分「ライフ」を犠牲にする)ようでは、いつまで経っても組織の体質は変わらない。少子高齢化で力を強める、次世代の若者の意識と、組織の体質とのギャップが拡大すれば、いずれ有為な人材が獲れなくなり、市役所という組織の継続性が失われてしまう(教員採用の危機を想起)。地方公務員は、50年後、100年後にも健全な組織を引き継いでいくという使命があり、そのためにこそ、常に自分たちの組織を変革せねばならない。
 マネージャー層が若手だった時代には想像もできなかった行動、例えば、男性職員による相当長期の育児休業や短時間勤務を実行してしまうパイオニアの存在こそが、現実を変え、組織の体質を変えていく(逆に、自分が若いころに上司からやられたことをそのまま部下に対して再現してしまう無能なマネージャーは、組織を危機にさらすリスクファクターでしかない)。
 「甘え」「役立たず」と白い目で見られることをおそれず、古い常識からはみ出していく若手の存在こそが、組織のカルチャーそのものを変革し、かえって組織の継続性やレジリエンスを生み出すのである。

7 「定年後の」「子育てが終わった後の」楽しみ、なんぞ意味なし!

 あなたは、何歳まで、生きるつもりか?
 あなたの大切なパートナーは、何歳まで、生きると思うか?
 私の女房(中高の同級生)は、36歳で病気に倒れ、38歳で死んだ。
 闘病中の2年間、私は一日ジャージでうろうろする専業主夫だった。
 その後は、下の子が大学に進学するまでの約13年間、父子家庭だった。
 今は、孤独死予備軍の「毒男」である。
 人生計画なんて、思うとおりに行くはずがない。
 もし、あなたが、もしくは、あなたのパートナーが、38歳で死ぬとしたら、あと何年あるか? そう考えたら、毎日残業しているヒマはあるか?
 定年後の楽しみなんて、意味はない。
 子育てが終わるまでの我慢なんて、意味はない。
 今、この瞬間に充実していなくて、何のための人生か。
 そのことを痛感した私は、「いい歳をして」との批判を恐れず、堂々とアニオタを名乗り、アニメ音楽のライブに通い、ライブTシャツにマフラータオルを装備し、若者に先立つ勢いで立ち上がって声を出し、腕を回すのである。
 なお、私が家事のできない「日本では普通の」男であれば、父子家庭になった途端、確実に児童虐待を引き起こしていたであろう。父親に平素から家事をさせることは、母親の非常時に備えた危機管理でもあることを強く認識されたい。
 また、大切な人が目の前にいて笑ってくれることは、今の私には決して起きえない<奇跡>なのであって、そのことに深く感謝されたい。

8 ひるがえって、少しでも「楽しく」仕事をすることを考える

 現実には賃労働に時間を支配されている方は多いだろう。そうであれば、人生を豊かにするため、「賃労働の苦痛」を当然と受容してはならないと思う。
 仕事を「やらされている」うちは苦痛でしかないが、「目的意識」を持ち、「自分事」となれば、喜びも必ず生まれる。この点、市役所という組織の目的は、市民全体の幸せであり、民間企業のような利潤追求ではない。このことは、組織の目的と自分の目的とを重ね合わせる上で、非常に優位なはずである。
 皆さんは何故、市役所という職場を選んだのですか? 
 そこにはどんな<価値>があると思ったのですか?
 また、自分の力で、自分のチャレンジによって、少しでも仕事を変えて行ければ、「何故自分がやらなければならないのか」という答えが得られる。前任者の作ったマニュアルのとおりこなすだけなら、誰がやっても同じ、虚しい、早く異動したい。しかし、ちょっとした新しい工夫、ちょっとした無駄の切捨て、ちょっとした理屈に合わないことの修正、といった成果(後任者の全てに価値をもたらす)が実現すれば、誰でもない、自分が担当した意味が生まれる。この点、インターネットには業務改善のヒントがごろごろ転がっているので、そういった知識を積極的に取り入れ、まずは小さな勝利を目指してはどうか。
 最悪、当面は仕事上何もできなくても、机の上に自分の好きなものをちょっと置いてみるだけでも、職場へ行くモチベは上がる。自分の「推し」を周囲にカミングアウトし、何故好きなのかを雑談の中でアピールしてはどうか(たとえ相手が苦笑していても、間違いなく相手の好意は上がっている)。この程度のことが顰蹙を買ってできないという組織体質であれば、近い将来、その組織には若者が来てくれなくなるだろう。
 市役所という大きな組織に属していることは、それだけ多くの人と出会えるアドバンテージがある(私は、役所に入らなければ知り合うことのなかった若いオタクと何人も出会い、日々のオタ活がめっちゃ充実した)。色んな人と打ち解けられるだけでも、大きな意味があり、仕事のモチベが上がる。抽象的な「組織のため」ではなく、具体的な「この人(達)のため」となれば、人は頑張れる。
(あと、全く一般性のないアドバイスですが、掃除好きな人には、朝早く出て職場を掃除することもお勧めです。丁寧にやるほど、実は様々な気付きを得られますし、密かに自分が役に立っている実感も得られます。)

9 最後に~「迷惑をかける」ではなく「お互い様」

 市の皆さんは真面目なので、「他の職員に迷惑をかけたくない」「ともかく自分で何とかしなければ」と周囲にSOSを出さない強い傾向を感じるが、もっと、もっと、積極的に周囲に助けを求めるべきである。逆にいえば、積極的に周囲の助けに入るべきである。「どうせ助けてもらえないから助けを求めない」というブラック企業的な悪循環を意識的に乗り越えなければならない。
 「うちの所管でない」「私の担当でない」←組織力を害する最悪のNGワード

 ちなみに弁護士(無駄にプライドが高い人を除く)は、分からないこと、迷うことがあったら、その分野に詳しい弁護士に聞く(知ったかぶりは依頼者に損害を与える)。逆に、他の弁護士から聞かれたら、自分の経験を踏まえて、分かる範囲で答える。狭い富山では「お互い様」。誰に聞けばよいかが分かる、聞ける人間関係がある、というのも、田舎弁護士の能力である。
 市役所の中でも、同じようなやり取りがなされていると思うが、そのようなコミュニケーションが、組織方針として積極的に勧奨され、上下、横、斜め間でも互いに遠慮なく、どんどん行われるカルチャーに変わっていってほしい。現状は圧倒的に足りない。

 「報告・連絡→指示」という無味乾燥なやり取り(上下関係)でなく、「雑談→相談」という、温度と湿度あるコミュニケーション(フラットな関係)が必要。
 そういう関係を作り出すためには、自己開示と他人への興味が必要。
 そのためには、仕事以外の会話が絶対に必要。
 困ったときに助けを求めることは、「迷惑をかける」ことではない!
 助けられた側は、次に、助ける側に回るのである。
 つまり「助け合い」であり、「お互い様」である!
(年休を一人しか消化しない組織なら迷惑、全員が消化する組織ならお互い様)
 そこから生まれる互いの信頼関係と組織への愛着が、疑問や異論を言っても否定・攻撃されないという<心理的安全性>確保の土壌となり、個々のメンバーのチャレンジや創意工夫を引き出し、組織のパフォーマンスを最大化する。
 つまり、SOSを出すべき人が出すことは、むしろ組織への貢献なのである。
 受け止める側(同僚、上司)の意識こそが、問われているのである。

 みなさんは、市役所を好きですか?
 市役所を「好きに値する」組織にする(変える)ため、一人のメンバーとして、何か少しでも努力をしていますか?

 内線電話1本で法務指導監が相談者の席へ走ってくる、という仕事のスタイルは、「助け合って当然」という組織文化の醸成を目指して、敢えてそうしているものです。

<参考となるネット記事>

〇「睡眠は1.5時間周期が良い」と信じているのは日本人だけ…本当に生産性の上がる睡眠時間とは(文春オンライン)

〇日本の男性の家事分担率は、相変わらず先進国で最低(News Week日本版)

〇茨城・龍ケ崎市役所 男性育休定着、続く100% 求められる柔軟な職場(茨城新聞)

〇男性育休「丸2年取った人」が得た新しい人生観(東洋経済オンライン)

〇子や孫の存在は幸福につながらない…一人暮らしのシニア男性の幸せを左右する唯一の存在(PRESIDENT Online)

〇「めんどくさい仕事」はどう考えても朝やるといい(東洋経済オンライン)

〇オフィスのゴミを拾わない人はリーダーにしてはいけない~所詮、会社は他人事と思っている証拠~(ヤフーニュース)

〇「人に頼る=恥」と考える人に伝えたい重要な視点 「支援される人=能力がない人」ではない!(東洋経済オンライン)

〇助けを求める力こそ最高のビジネススキル、1人で抱え込まない技術とは(DIAMOND online)