『えんじゅ アフターケアから、出会いへ』
先日、1冊の本がわたしの家に届いた。
青色の表紙に金色の文字で
『えんじゅ アフターケアから、出会いへ』と書かれている。
その本を手に取りパラパラとめくると、
社会的養護から自由になる
と、どこかで聞いたような響きが落ちていた。
目線を下にずらすと、全国こども福祉センター荒井和樹とあった。
* * *
この本は「社会的養護のアフターケア」の分野で奮闘している全国の支援者さんの思いと対応策が盛り込まれたものだ。『困っている人を支援する人に届けたい』と、支援機関や支援者さんを中心に幅広く届くよう、クラウドファンディングが行われた。
わたしは全国こども福祉センターと、またここでも出会えるとは思っていなかった。
今回は純粋に『全国の支援者さんの思いと対応策』が個人的に気になったのでクラファンに参加した。
荒井さんの文章が最初に目に入らなければなければ、もしかしたらしばらく積読になっていたかもしれないと思う。
だって我が家は積読で溢れかえっているから。
荒井さんの文章を読んだ後、
そのままの流れで残りも読み進めていった。
* * *
『出会った責任』
この言葉を聞いたとき、率直に重いと思った。
わたしはどうやら『責任』を『義務』
として捉えてしまっていたみたいだ。
『出会った責任』には、
『すでに出会った』という事実が含まれている。
実際に自分が出来る出来ない等は関係なく、
「助けたいな」って思うこと、
「責任を負えないから断ろう」と思うこと、
それらどちらも出会ったからこそ生まれた、
自分が『Response(応答)しようとしている』事実であって、これは双方向に生じている。
そして出会った責任のなかには「あなたはそれにどう応えるのか」という応答可能性に対する問いも含まれている。
「こうして出会ったんだから、無茶はしないでくれよ、無茶されたらこっちはどんな気持ちになる」という支援者の思いに対して、相手がどう応えるのか。やはり応答可能性も双方向に生じている。
双方向に生じるものであるから、
支援する者、される者のような区別はやっぱりつけられないのかもしれない。
* * *
今年の3月にわたしが毎日のように通っていた居場所がなくなった。
心療内科の先生に「1ヶ月後に自分の居場所がなくなります。わたしにとってお父さんのような存在だった人と会えなくなります。これから先、生きていく自信がありません」的なお話をした。
すると先生は、福祉の制度を使い、わたしでも利用できる新たな居場所となり得る場所のことを教えてくれた。
そこは飲み物もあるし、携帯の充電もやり放題。
カウンセリングだって受けられる。
でもその場所は、少なくとも今の自分にとっての居場所に、まだなっていない。
役所のように
アセスメントをかけて一気に個人的な情報を得ようとすること、また、対話に期間が定められていることは、
人と人とが出会い、関係を深めていくのにあたって異常なことである。
異常=非日常のなかで居場所はつくられにくい。
全国こども福祉センターでの街頭活動のように、お互いに少しずつ少しずつ歩み寄りながら対話を図っていくことは、日常性が強く居場所になり得るのだろう。
日常に溶け込むからこそ、
出会った責任は大きくなる。
出会ったという事実と、
それにどう応えるのかという姿勢。
さて、わたしはどういう姿勢で全国こども福祉のセンターの活動に参加しているのだろうか。
わたしは何を自分に課してきただろうか。
* * *
わたしが『NPO法人全国こども福祉センター』で活動するにあたり、心掛けてきたこと、実は一つだけある。
それは、いる、ってこと。
その場にただ、いる、ってこと。
同じ空気を吸うっていうこと。
歳上と話す機会しかなく、
同年代や歳下と話すのは約10年ぶりだった。
26年の人生の中で半分近くを占めるこの10年はとても大きい。
10年前にできていたことをただ自分に課すことは自分を追い込むことにしかならないと思った。
活動に初めて参加した日から
わたしが自分に課したことは、
上記の、ただ、いる、ということだった。
それだけでも
意味はあるんじゃないかって思った。
空間と時間に流されるだけでも
意味はあるんじゃないかって、さ。
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