全国こども福祉センター #1
寝ぼけ眼を擦りながら、昨夜に戻り、旅をする。
みんなが撮ってくれた写真を見て、出来事に思いを馳せていく。
この活動に参加してからというもの、わたしの日曜日の朝はいつもこんな感じだ。
2022年2月12日(土)
この日はわたしが初めて活動に参加し、メンバーと出会った大切な日。
活動メンバーは大きな声で「募金をお願いします!」と呼びかけていたり、こどもや若者に積極的に声をかけ、路上で対話をしていた。
わたしも見様見真似でディズニーキャラクターのチップの着ぐるみを手に取り、人生で初めてシマリス🐿に変身。
そして行き交う人間たちに手を振った。
手を振ることしかできなかったけれど、それでも街ゆく人の冷たさを、肌で感じるには十分だった。
睨みつけられたり、「ひきこもりの支援は俺にはできるけど、お前らにはできない」と言われたり・・・。
そんな風にわかりやすく矛先を向けてくるような態度もあれば、
目を合わせてくれない、っていう、
まるで私たちが存在していないかのような扱いを受けることもあった。
思い返せば、わたしもよく素通りしていた気がする。
ユニセフ、セーブザチルドレン、そしてどこかの高校のボランティア活動まで。
直接声をかけられれば笑顔で会釈。
けれども立ち止まったことなんてこれまでの一度もなかったのではないか。
彼らの眼には、わたしが見た人々と同じように映っていたのかもしれない。
そう思うと少し胸が痛んだ。
2022年6月4日(土)
あれから約4ヶ月。
活動には毎週のように参加しているけれど、未だに慣れない。
なんでこんなことしているんだろうって、ふと考える。
路上にいる時間を仕事に使えばお金が入り、勉強に使えば成績が上がるかもしれない。怖い思いをすることだってきっとないし、周りと比べて落ち込むこともない。
それなのにどうしてわたしは毎週路上に立ち続けているのだろう。
少し話は脱線するけれど、
募金や寄付のお金はすべて、団体で使用している事務所の家賃や光熱費で消えていく。
必死に声かけをして集まったお金は、誰の懐にも入らずに、この団体の運営にのみ当てられるのだ。
メンバー(現在、過去問わず)の中にはマンスリーサポーターとして毎月寄付をしている者もいる。
わたしたちは常に寄付される側であり寄付をする側でもあるってこと。
そう考えるとなんだか不思議。
どんなけみんなこの団体が好きなんだよって、ツッコみたくなる。
もちろん自分にも。
マネーが全てではないけれど、マネーが団体を支えているのは間違いない。
だからこそ、募金してくれる人や寄付をしてくれる人の大切さを、日々実感する。
とは言っても、その人たちを特別扱いすることはできないけどね。
人は何かを得るために、お金や時間を使うのだとしたら、わたしがこの活動に参加しているのは、一体何を得たいからなのだろうか。
活動に参加する、それは一種の自傷行為だと感じることがある。
うまくできなくて生じる劣等感
メンバーがいなくなった時の喪失感
たくさんの人の前に立つ緊張感
団体の維持に対する危機感
メンバーの中でひとりだけ、そんな疎外感
路上に立つ、人と出会う、対話をする、
そのことは知らぬ間に誰かを傷つけ、傷つけられることを意味する。
それでも人と出会うことをやめないのは、一種の自傷行為なのだろうか。
でもわたしは活動を通して自分の心の中に見た。
一般的な自傷行為では得ることのできないだろう色合いを。
みんなが受け入れてくれる安心感
着ぐるみを着て声を出す開放感
みんなとカードゲームをする充実感
路上に立ち続けるからこそ得られる疲労感
自分の課題や目標をクリアできたときの達成感
自分の発言や行動に対しての責任感
着ぐるみに教えられる季節感
みんなと悩みを共有して得る親近感
仲間に自分の背中を預けられる信頼感
活動後にみんなとご飯を食べる、これがマジで多幸感
これだけのものが一度の活動で得られる刺激にわたしはハマってしまった。
何かを得るため、その切り口で話すとしたら、
わたしはこれらたくさんの色合いを求めて毎週参加しているのだと思う、この団体に。
『NPO法人 全国こども福祉センター』
団体名が真面目な雰囲気を帯びているから、人にも紹介しやすいし。
まじ神やで。
全国こども福祉センターのHPはこちら↓🐒
2022年5月30日(月)
CBCラジオ『孤独の先に』放送されました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?