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名もなき後輩とブルーハワイ
※ブルーハワイ本に載せるつもりで考えてたけど結局やめたネタ
※モブ集金部門ニュービー視点
※夢?エッそうかな…?そうかも…?
※おそらくブルーハワイ本を読んでないと意味不明
ウワッ
条件反射で間抜けな悲鳴を漏らしてしまった口を慌てて塞ぎ、隣のアーソン=サンを伺い見る。彼は冷ややかな切長の目を微かに細めたのみだった。その視線の先、俺達の足元には小柄な中年の男がうつ伏せで倒れている。というより、転がっている。
「死んでますよね?」
つい、見ればわかることを聞いてしまった。バカかと思われたかもしれない。
アーソン=サンは一歩進み出ると、足先でその死体を仰向かせた。黒いぴかぴかの革靴が淡く照明を反射した。
「心臓の持病があると聞いた。発作で死んだのだろうな」
死体は確かに両手で胸を掻き毟るようなポーズをしている。アーソン=サンのメンポの隙間から、控えめな溜息が聞こえた。
「後処理を呼ぶ。オイ、」
「エッ、アッハイ」
持たされていた仕事用の小型IRC端末を辿々しく上着のポケットから取り出し、アーソン=サンに手渡す。彼はそれを受け取り、メッセージの入力に取り掛かった。すらりと長い指が端末のキーをタイプする様は淀み無い。
後処理というのは恐らく、この死体の男が生前ソウカイヤと関わっていた痕跡を隠蔽・抹消する奴らのことだろう。
「こういうことって多いんですか?」
「まれにある」
あっという間に連絡メッセージを送信し終えたアーソン=サンは、短く答えながら端末を再度俺に預け、手近にあった2人掛けテーブル席の安そうな椅子に腰を下ろした。俺も座って良いのだろうか。当然ながらアーソン=サンは何も言わない。俺はどうすべきか決めかね、間抜けに立ち尽くす。こういう自主性の欠如、指示待ちの姿勢が判断の遅れを招き、いつか俺に死をもたらすのだろう。
することも無いので店内を見回してみるが、狭さゆえすぐに全貌が見えてしまった。テーブルと丸椅子が雑多に敷き詰められた窮屈な飲食スペース、会計カウンターの向こうには巨大な冷蔵庫に流し台、カラフルなシロップのボトルに取り囲まれた業務用カキ氷機。
どこからどう見てもただのカキ氷屋だ。こんな狭い店の中のどこを使って薬物売買などやっていたのだろうか。店主の死体を横目に見る。
(何もこんな日に死ななくたって良いだろうが)
今日はセンパイの仕事の見学や手伝いとかではない、集金部門に配属されてからの、俺の初仕事だったのに。サポートとして同行してくれたアーソン=サンがいなければ今頃どんなブザマを晒していたのか、想像するだに情けない。
ピボッ
奥ゆかしい着信音とともに端末の画面が光る。アーソン=サンに「寄越せ」と命じられる前に、献上品めいて両手で差し出した。
「……『現在人手の確保が実際困難、到着まで1時間程度な』……」
独り言と大差ない彼の声を俺のニンジャ聴力が正確に拾った。数回の脳内リピートと数秒のラグを経て、その意味を理解する。
この密室で
アーソン=サンと2人きりで
あと1時間
後処理が来るのを待つ、のか。
確かにアーソン=サンはヒュージシュリケン=サンやナッツクラッカー=サンのような、暴力的なアトモスフィアを纏った人ではない。バーグラーの野郎と違ってニュービー相手だからとバカにした態度は取らないし、集金部門の中では一番、控え目で接しやすい方だと思う。思うのだが、なんというか、所作、言動、装い、あらゆる面において異様な品格がある。まるでカチグミ企業採用面接(受けたことはないけど)の面接官めいて、この人と対峙すると自分の矮小さを見透かされ、思い知らされているような感覚に陥り、激しく精神が消耗するのだ。別に本人に何を言われたわけでもないのに。
現に今も身体の色々な部分から嫌な汗が噴き出している。
自身の汗の匂いが強まるのに比例して、アーソン=サンのスーツが纏う涼しげな香りも明瞭になる。香水だろう。……もしかして俺、彼に汗臭い奴だと思われているだろうか。
考えなくてもいいことを考えて、体内の水分が余計な汗に変わってしまう。急速に喉が渇いていく。
そういえば、今日はザゼン・トレーニングが長引いて昼飯を食いそびれたため、ろくな食事を摂っていない。
思い出すや否や、ぐぎゅる、と、腹が不細工な声で鳴き、アーソン=サンの眼差しが其処に吸い寄せられた。
「腹が減ったか」
何か答えるべきだったかもしれないが、脱水されてふらふらの頭から気の利いた言葉などは出ず、からからの喉と舌からは不明瞭な吃音が絞り出されるばかり。
アーソン=サンは組んでいた長い脚を解いて、静かに立ち上がった。
「今、店の外へ出るのはうまくない」
「エ、あの」
俺が意味のある言葉を紡ぐよりも先に、彼は椅子やテーブルや死体の間を縫うように歩いて会計カウンターの中へ辿り着き、カキ氷機を操作し始めた。
「あの……」
やや大袈裟な機械音が短く2回響いた後、大きな紙コップが2つ、カウンターの上に置かれた。どちらのコップにも雪山が聳えていた。
そしてアーソン=サンはカラフルなシロップの中から迷わず青いボトルを選び取り、2つのコップに注いだ。俺は青い蜜が柔らかく雪山を崩すのを、呆けたように眺めた。
「腹は膨れまいが、喉の渇きはマシになるだろう」
ストローで出来たスプーンをさくりさくりとそれぞれの雪山に突き刺してアーソン=サンが言う。何も言えずに立ち尽くす俺に構わず、アーソン=サンはコップの片方を手に取って適当な椅子に腰掛け、出来立てのブルーハワイを食べ始めた。
「早く食わんと溶けるぞ」
その言葉で漸く、残されたコップが俺のブルーハワイなのだと理解した。ありがとうございますだとか気を遣わせてスミマセンだとか、色々言わなきゃいけないことがあるだろうに、俺が言葉に出来たのは「イタダキマス」が精一杯だった。
俺の分のカキ氷を手に取って、椅子に座った。
テーブルを挟んで真正面に、カキ氷を食べるアーソン=サンが居た。
……いや、ナンデ対面に座っちゃうんだよ。頭が働いてないにも程がある。この人とこんな近い位置で向かい合って物を食って、はたして味がわかるのか。だが後悔しても遅い。今この状態から別の席に移動したらそれこそシツレイだ。
アーソン=サンはこれといった反応を見せず、淡々とブルーハワイを口に運んでいる。俺も震える手で青色の氷を頬張った。
結果的には、危惧していたようなことはなかった。シロップからはちゃんと爽やかな甘さが感じ取れたし、喉に流れ込む冷たさと水分を、乾いた身体は素直に喜んだ。
「ウメッス」
「そうか。ソウカイブルーハワイは味にも拘っているらしいからな」
ああ、これソウカイブルーハワイだったのか。
ソウカイヤのシノギのうちの一つだ。恐らく身体にあまり宜しくない成分もかなりの割合で含まれていると思われるが、ニンジャが気にする程ではないのだろう。アーソン=サンも気にしていなさそうだし。
「アーソン=サン、ブルーハワイ好きなんですか」
緊張の糸が弛んだ拍子にふと、彼が迷い無く青のシロップを取ったことを思い出したので、深く考えずに聞いてみた。
「まあそうだな、私にとって少し特別というか」
静かな言葉とともに、彼の視線が手の中のカキ氷から俺に向けられる。
不思議と、先程のような居心地の悪さは覚えなかった。
「ブルーハワイというのは決まった味が無い。ソウカイブルーハワイはブルーソーダ味だが、製造元によってはラムネ味やパイン味だったりする」
「エ、そうなんですか。知らなかったっす」
アーソン=サンの目が微かに細まり、静かな吐息が「ふ」と、音を作ったように感じた。
メンポで口元は見えないが、彼は今、笑った、のだろうか。
「その曖昧さを好ましく思う」
ぽとりと落とされた言葉はカキ氷の一欠片にも似て、掌に掴めないまま空間に溶けてしまった。
彼の口から紡がれる言葉は、その全てが鋭くあるものだとばかり思っていたけれど、どうやらそうではないらしい。
背筋を伸ばして堂々と立つ彼の姿は厳格で絶対的なものに見えていたけれど、本当は彼も、もっと曖昧な存在なのかもしれない。
確かに存在しているのに正体の定まらないブルーハワイのように。
或いは、人には戻れず、然りとて人で無いものにもなりきれない、どうしようもなく矮小な俺のように。
彼の真意も本質も、俺なんかには解りようもないのだろうけど、ただニューロンに微かに残る彼の言葉の余韻が、俺にそう感じさせた。
そしてその言葉を最後に、会話は途切れた。
今は互いの口の中で氷が水になる、その曖昧な音だけが閉じた世界を満たしている。