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堀之内聖と私19
2017年、本庄高校が選手権二次予選に進出し、南浦和での抽選会と写真撮影を終えた私は、その日は部活も休みだったので、せっかく浦和に出て来たので堀之内に会おうと、彼に電話したところ、「18:00まで話したいことがあるので待っていてほしい」と言われ、草加東時代に毎夕食を共にしていたお二人がいる浦和第一女子高校を訪れ、彼らと話をして過ごし、待ち合わせ場所の浦和駅に18:00に着いた。
堀之内は会うなり「今日はアルコールなしでお願いします」と言い、2人でカフェに入った。
確か第一声は「担当直入に言います。教師を辞めてもらえませんか?」だったと思う。その後に「浦和レッズは普及のスクールはあリますが、Jリーグで唯一育成のスクールがなく、今度新しくスクールを立ち上げる予定です。僕は営業にいたからわかるけど、良いものを提供しないと人は離れていくんです。だから、他では教えられないことを教えられる人を探しているので、先生がピッタリなんです」と言われた。
私は「60の定年まで待ってもらえない?」と言ったところ「待てません」と言われ、「せめて55まで」と言ったら「55の根拠はなんですか?」と言われてしまった。
その日は、あまり詳しい話をしないで別れた。私は県に電話して、55歳まで教師を続けるべきメリットを聞いた。県の担当者は「55になったら、将来、どのくらいの年金がもらえるかわかるというくらいですね」と言われた。安定をとるべきか、好きなサッカーでお金をもらえる生活をとるべきか、悩んだ