教師駆け出し(草加東高校)時代⑦
草加東高校2年目に東部地区サッカー部指導者の懇親会があった。近くの高校に大学サッカー同好会同期(彼は夏休み前に辞めていた)が赴任した。彼が自己紹介で「そこにいるふくTとは大学のサークルで一緒でした」と言った瞬間「サークル!」と一斉に嘲笑が起こった(今は体育会サッカー部出身でない体育教師も多いが、当時は稀だった)。その瞬間、「絶対、この人たち全員を指導者として超えてやる」と心の中で思ったことをよく覚えている。
ちなみに、高校の時は雨が降るとグラウンドが使えないので、校舎内で筋トレをやったりしていたが、大学の同好会では、雨が降ると小石川運動場が使えないので、雨が降っても使わせてもらえる横浜の保土ヶ谷まで行って練習していた。
同好会だと思って舐めていたら、兵庫国体選抜で全国優勝経験者、広島県選抜、浜松選抜(他県選抜より上手かった)と、すごい人が多かったが、たまたま1年生から試合に出た私は、3年生に「みんな試合に出たいんだよ。試合に出ている以上、死ぬ気でやれ」と言われ、100人以上の代表という責任を背負って戦うのは相当なプレッシャーだった。その分、リーグ戦で優勝した時は嬉しかった。人生で1番の思い出だ。みんなで泣いて、渋谷で大騒ぎした。
55周年記念パーティーには、数ヶ月だけ在籍していた岡田武史さんが来てくれた。彼は数ヶ月間ともに過ごした仲間を、その後数十年間大切にしている。還暦過ぎた岡田さん同期の先輩たちが今治まで行き、FC今治の下部組織の女子チームと試合をさせてもらったりして交流が続いているそう。ちなみに、FC今治は同好会の先輩のチームを岡田さんが引き継いだのが始まりだ。その岡田さんのFC今治で、浦和市立高校時代の教え子がGMのような仕事をしていた。不思議な縁を感じる。