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堀之内聖と私⑤

新人戦で優勝した浦和市立高校だが、関東大会の予選では武南に決勝で敗れた。2位(1都県2チーム出場)で出場した関東大会では、中田英寿さんの母校の韮崎高校に1回戦で敗退した。

関東大会の次のインターハイ予選でも武南高校には勝てなかった。ただ、その試合のハーフタイムで、前半武南の長身の選手にヘディングで競り勝てなかった堀之内に「ホリ、ヘッドは勝てなくてもいいから相手にやらせなければいいんだよ。本来のタイミングより先に跳んで、相手の視野を切ってボールを見られなくしてしまえば、2人ともヘディングできないから、こぼれ球に先に反応すればいいんだよ」とアドバイスしたら、試合後に「先生、効果てきめんでした」と言ってきた彼に対し、ちょっとしたアドバイスをすぐに試合で表現できてさすがだなと思った。

浦和市立高校はインターハイで全国大会に出場するも、またしても1回戦で敗退した。相手は福井県代表の丸岡高校。その試合の直後、隣のピッチでは、清水商業高校vs大船渡高校の試合が行われていたが、大船渡には小笠原満男選手、清水商業には小野伸二選手がいて、彼らのプレーを見て「こんな上手い高校生がいるんだ。彼らみたいな選手がプロになるんだろうな」と感じた。残念ながら、堀之内と彼らのテクニックの差は歴然としていた。

インターハイの後の選手権の予選では、準決勝で優勝候補の武南(その年の武南には後のJリーガーが4人いた)に3-2で勝利した。決勝は1-0で大宮東高校に勝ち、全国大会出場を決めた。

全国大会1回戦では、優勝候補の一角である大阪の近代附属高校(アンダーカテゴリー代表が2人いた)相手に、大歓声の後押しもあり、劇的に勝利し、2回戦、3回戦にも勝利し、ベスト8で中村俊輔選手がエースとして活躍していた桐光学園と対戦した。試合前の中村俊輔選手のロングキックを見て「ものが違う」と思った。今まで間近で見た高校サッカー選手で1番キックが上手いと感じた。

桐光学園に0-1で負けたが、堀之内聖は大会優秀選手に選ばれ、ヨーロッパ遠征に向けて行われた優秀選手の練習会に参加した。練習会に参加していた先生が「堀之内はワンタッチ・コントロールができないという評価だった」と言っていた。当時は戦術のことは、ほぼ何も考えていなかった彼だった。足元にボールを止めてから次のことを考える選手だった。日本サッカー全体がそういうレベルだった。だから海外のコーチが「日本人はテクニック100点、スキル0点」と揶揄していた。私自身は、その後1997年からナショナルトレセンのトレーニングをJ-ヴィレッジまで見学に行って学んだり、海外の書物やビデオから学び、大学生の彼にアドバイスしていた。素直な彼にアドバイスするのは楽しかった。ある高校サッカー部の顧問が彼のことを「上質のスポンジみたいだ。吸収が速い。あいつに奢るなら金が惜しくないだろ」と言っていたが、まさにそんな感じだった。

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