サッカー指導者として飛躍(浦和市立高校)時代③
浦和市立高校に赴任してすぐ「名前はあるけど弱いから、自信をつけるためにやる学校」と他校の顧問に言われた。実際、私が赴任する前の新人戦で南部支部予選で負けていた。
サッカー部で、Aチームの選手に教える機会はほぼなかったが、練習後にアドバイスすることはあった。FWの2人に『The Winining Formula』に書かれていた「アーリークロス」からのシュートを提案し練習させた。今では当たり前のように使われているDFラインとGKの間に入れるアーリークロスだが、当時はそれを使っている高校サッカーチームはなかった。
その年のサッカー部はインターハイ予選、選手権予選ともに県でベスト4になったが、まだまだ武南高校との差は大きく、10回試合をしたら10回負けると思うほどの差があった。
当時の3年生で、3年間、球拾いしかしないで卒業して行った教え子に10数年後にあった時に「球拾いしかしなかった高校サッカー部での3年間をどう思っている」と聞いたところ「あれはあれで良かった。どんなにお客様にクレームを言われても、上司に理不尽なことを言われても、どうってことない。高校生の時に味わった惨めさに比べたら」と言われた。複雑な気分だった。今ではセカンドチームやサードチーム、U-16と、試合をするのが当たり前だが、当時はそんな時代だった。