サッカー指導者として飛躍(浦和市立高校)時代31
1996年、浦和市立高校サッカー部は選手権埼玉県予選で準決勝で武南高校に新人戦決勝以来、2度目の勝利をし、決勝で大宮東高校に1−0で勝利し全国大会に出場を決めた。
全国大会の1回戦で優勝候補の大阪代表の近大附属高校(アンダー世代代表が2人いた)に2−1で勝利した。
2点を決めた生徒は新人戦の前に怪我をしてBチームに落ちてきた。私は「よくぞ来た。君に教えたかった」と言って握手した。彼は、当時Bチームの生徒たちが簡単にできることを「難しい。できない」とか言いながらやっていたが、体育の成績が10の運動神経の彼は、すぐにアジャストした。練習後にキックの練習をしていた時「こうやって蹴ればボールがお辞儀しない」と見本を見せたら、翌日「先生、わかった。こうでしょ」と言いながら伸びるボールを蹴って見せた。結局、彼は新人戦に間に合わなかった。決勝で勝利し、みんなが喜んでいる時、「やべえ、俺出てないのに優勝しちゃった」と呟いた。
近代附属に勝利した浦和市立高校サッカー部はその後2試合勝利し、ベスト8に進出した。チームの中に「中村俊輔と対戦できて満足」という空気が充満していた。写真部の女生徒が「先生、ピッチ脇で写真を撮影する許可を取ってください」と言ってきたので、お願いして彼女が撮影できるように手配した。
準々決勝は桐光学園に0-1で負けた。中村俊輔は大活躍していた。てっきり、写真部の彼女が浦和市立高校イレブンの写真を撮ってくれたものだと思っていたら、相手チームの中村俊輔選手の写真を浦和市立高校の女生徒たちに五百円で売りつけていた。それが飛ぶように売れていた。彼女は「女の子は将来性を買うんですよ。彼が有名になったら、この写真の価値が出るでしょ」と言っていた。彼女は見る目があった(^^)