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堀之内聖と私⑥ 2020年4月23日(木)

選手権優秀選手による練習会(ヨーロッパ遠征メンバーに選ばれなかった)から帰った翌日に新人戦のシード決めの試合があった。そこへお父さんと一緒に堀之内が浦和学院グランドに現れた。私は「疲れているから試合に出るな」と彼に言ったが「大丈夫です」と言って試合に出て、試合に負けていたせいもあり、必要以上に頑張って、明らかに不自然な倒れ方をしてベンチから「大丈夫か?」という声が掛かったが、彼は「大丈夫です」と応えた。その後、ペナルティエリアにドリブルで侵入してPKを獲得した直後に、彼は✖️印を出してこれ以上プレーできないことを示した。

前十字靭帯損傷だった。復帰まで約半年かかる大怪我だった。それなのに彼は「関東に出れば、後がシードになって楽なのです」と言って関東大会の予選に出場した。結局、関東大会予選、インターハイ予選共に出場したが、代表になることはできなかった。

高校3年生の最後の選手権予選、浦和市立高校は決勝に駒を進めた。しかし、浦和東高校に1-2で逆転負けを喫した。膝の痛みをおして出場していた堀之内が、もし全国大会に出場していたら膝が壊れ、その後の彼はなかっただろう。サッカーと並行して筑波大学の推薦入試に備えて準備をしていた堀之内だったが、12月初め、合格発表を待つ彼に、まさかの不合格の知らせが届いた。2年前に同じ浦和市立高校の先輩が学力(堀之内は学年トップの評定4.8だった)も競技実績も彼より下で合格していたので、誰もが絶対に受かると信じて疑わなかった。ところが、同じ年に平川(レッズで1年目からトップデビュー、現在FC琉球の監督)、羽生(オシムジャパンで日本代表)、石川(1999年U-20代表で小野伸二らと世界第2位)らの同じ世代のスター選手が受験したため、全国大会ベスト8の堀之内は競技実績で及ばなかった。

堀之内はまさかの窮地に追い込まれた

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