常歩(なみあし)と私
常歩(なみあし)とは、馬が歩くときの歩き方のことです。2006年に常歩研究会(なみあしけんきゅうかい)のみなさんとの交流が始まり、それまで一直線上(いっちょくせんじょう)を走れとか、キックのときは上半身(じょうはんしん)をひねるように指導(しどう)していた私ですが、2006年以降(いこう)の教え子たちには、二直線上を走れとかキックのときは上半身をひねらないように指導するようになりました。
忘れもしない2006年1月5日、常歩研究仲間の陸上専門のA先生と初めてお会いした日です。今の私があるのは、間違いなくこの出会いがあるからです。
2005年春、勤務(きんむ)していた浦和南高校の物理(ぶつり)の先生の息子さんがA先生が勤務されていた東大附属中等教育学校に合格したとお聞きし、息子さんを通してA先生に連絡をしたい旨(むね)を物理の先生に伝えましたが、息子さんがまだ学校に慣(な)れていないので難(むずか)しいとのことであきらめていました。しかし、お願いしていたことも忘れかけていた2学期の終業式の間近(まぢか)に「息子がA先生にふくT先生のこと伝えに行ってもいいと言っているよ」と物理の先生に言われ、早速(さっそく)お電話し、年明けの1月5日に学校にお伺(うかが)いする約束(やくそく)をしました。
その日に選手権埼玉県予選で決勝まで進んだ浦和南高校サッカー部のキャプテンだった教え子と、その年の元日の天皇杯決勝でゴールを決めていた浦和レッズの堀之内選手を誘って行きました。
A先生が陸上部にされているトレーニングを浦和南の教え子と堀之内選手が一緒にやっているところをビデオに撮影しながら、A先生と同じように走れたり、しなやかに動けたらサッカーが変わると直感(ちょっかん)しました。
その時に堀之内選手と同い年で国見高校のキャプテンだったNさんも常歩研究会の仲間として顔を出して下さって、彼の球際(たまぎわ)での膝抜(ひざぬ)きの見本(みほん)を見て堀之内選手は「それロブソン(ポンテ)がよくやる」と言いました。私は「天皇杯決勝でタッチライン際(ぎわ)、ハーフウェイラインのあたりでやっていたよね」とすぐに反応しました。
あの出会いがその後のサッカー塾につながっているのは間違(まちが)いありません。
では、また。