教師になる前(大学時代)11
大学時代、月曜日はア式蹴球部がオフのため、東伏見のグラウンドを使わせていただいていた。今は人工芝だが、当時は土のグラウンドで、隣ではラグビー部がトレーニングしていた。
ある時、雨の中、トレーニングしてグラウンドを荒らしてしまったら、ア式蹴球部の1年生に「ちゃんとグラウンド整備をして帰れ」と言われ、彼らの指導の下、2人1組でトンボがけをした。これがキツかった。体育会サッカー部はグラウンド整備も大変なのだと感心した。今の学生はグラウンド整備をしなくていい(人工芝なので)から恵まれている。
東伏見では秋のリーグ戦が週末に行われた後の月曜日に練習があるので、試合の反省会が練習後に行われた。ある試合に3分ほど遅刻してしまい、その試合は3点リードされたが、残り15分で奇跡の逆転勝ちをした。私はその試合に負けたら月曜日の反省会が大変なことになるとビクビクしていた。結局、勝利はしたものの「遅刻したやつを使うから負けそうになった」等、バッシングを浴びせられまくった。
そして、その翌週、あろうことか、心配でなかなか寝付けなかった私は、寝坊して、またしても遅刻してしまった。私はもう試合に出るのや嫌だと隠れるようにグラウンドへ入って行ったところ、すぐにキャプテンが私を見つけ「貴様!何遍言うたら分かるんや!」と鬼の形相で近寄って来て「早く着替えろ!」と怒鳴られ、4年生(現在横浜YSCCのスタッフ)が「怒られちゃったな」と私に気を遣って声をかけて下さったので愛想笑いをしたらすぐに「笑いごっちゃねえぞ!」と3年生に叱られた。その試合も逆転で3-2で勝利したからいいものの、負けていたらどうなっていただろう?
翌週の東伏見での反省会は地獄だと思っていたが、誰も何も言わなかった。これ以上追い込むとメンタルやられると思われたのだろうか?私はずっと下を向いていた(^^;;
翌週の試合がある日の朝は、ひとつ上のマネージャーさんがモーニングコールをかけて下さった。今でも鮮明に覚えている「もしもし、ふくTちゃんですか?起きてる?今日は大丈夫だよね」と。その方は現在、神奈川でパティシエをされているそうだが、いつか訪れてあの時ご心配をおかけしたことの謝罪とお礼を言いたいと思っている。