サッカー指導者として飛躍(浦和市立高校)時代①

浦和市立高校に赴任直前、浦和市教育長面接があった。面接会場に向かう車の中で、「今年一年は陸上部顧問で我慢してくれよ」と校長に言われていた。

会場に着くと「言われたことに『はい』と答えるだけの面接だから」と校長に言われたが、部屋に入って席に着いた瞬間、「自己PRをしてください」と言われ、「浦和市立高校への異動が決まり、武南高校に勝てるチームに異動できると思いました」と返答したところ、「浦和レッズができたことですし、ぜひ浦和のサッカーの復活を」と言われ、横にいた校長が「彼には英語だけでなくサッカーでも頑張ってもらおうと思っています」と、まさかの発言。

帰りの車の中で校長が「本来2人の顧問のところカッコつけて3番目のサッカー部顧問にするから副顧問は陸上で我慢して」と言っていた。結局、副顧問は空手部になった。

空手部の練習に出つつサッカー部の練習にも顔を出し、週末はサッカー部の練習試合の審判をしていた。

それまでほとんど練習したことがなかった球拾い組が私の練習に参加する際、やる気マックスで「よっしゃー、やるぞ!」と言っていたのが忘れられない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?