見出し画像

サッカー指導者として飛躍(浦和市立高校)時代12—ブラジル珍道中8

ブラジル6日目、サントスFCと対戦。1-7で大敗。試合を見ていたお世話してくれていた日系ブラジル人の太郎さん(太郎、弥太郎さんといった名前の日系人が多かった。太郎さんは自分のことを「ワシ」と言っていた。祖先は広島から?)が「日本人は声が出ない」とか「「あのシュートを外したら、次からボールが来ないのが普通」とコメントしていた。

当時、ブラジルの天然芝のグラウンドには、どこにもだいたい馬がいた。馬が芝を食べて芝刈りをしていたのだ。我々の宿舎にも周りに芝の練習場があったので馬が飼われていた。練習場を日本の高校生たちが踏み荒らし、芝を食べられなかった馬は、ゴミ箱を漁るようになった。夜中に、宿泊していた部屋の外でゴソゴソ音がするので、起きてドアを開けると、馬がパッカパッカと逃げていき、後ろを振り返り様子を窺っていた。また音がするので外に出ると、またしても馬が。それを何度も繰り返した。今思えば、馬からすると迷惑なことだった。

宿舎の管理人の息子(5歳くらい?)が馬を時代劇の殿様のように乗りこなしているのを見て、ブラジルに勝てるようになるのは難しいと思った。私はちょっとだけ乗ってみたが怖くて仕方なかった。矢板中央の先生が乗りこなしているのを見て、体育の先生は運動神経がいいと感心した。

セレソン浦和の高校生の1人が面白がって馬に乗った時、例の管理人の息子が「ニヤッ」と笑いながら馬の腹を叩いた。馬は猛烈なスピードで走り出し、どんどん森の方へ「頼むから落ちるな」と心の中で叫んだが、案の定落馬。大怪我でもしたら大変だと思ったが、頭から血を流しながら彼が戻ってきた。心配そうな私の横で、東福岡の先生が「大丈夫だっちゃね。その程度の出血なら。うちの生徒は宿舎のベッドに五寸釘が出ているのを気づかずに勢いよく寝て、頭に釘が刺さったけど大丈夫」と笑っていた。おおらかな時代だった。

いいなと思ったら応援しよう!