先輩教師との北京・シドニー珍道中① 

1991年12月25日、私が初めて担任した時に副担をしてくださった先輩教師に「ふくTちゃん、海外旅行行こう」と言われ、ABロードで調べて安いツアーを探し、北京経由シドニー行きのエア・チャイナで旅立った。
成田で、同じツアーに、モヒカン頭で黒のロング革コートを着て、金のネックレスをした人がいて「ヤバい人がいる」と思った。北京につき、翌日のランチで行ったレストランで、あろうことかその人の隣に座ってしまい、何か話した方がいいのか躊躇していたら、彼の隣のご婦人が京都弁で話しかけてきた。私が「ご主人ですか?」とお聞きしたら「こんなのが旦那のわけないです。弟です」と彼女。私が弟さんに「ご職業は?」とお聞きしたら、最初に「や」がきて「やっぱり、ヤバい人だ」と内心思ったら、「やくしゃです」と言われ、急に安堵して、話が弾んだ。午後は−10℃の中、万里の長城へ。お土産屋で30元の帽子を20元に値切って購入(安いのかどうかわからないが)その夜は、彼らの部屋で夜遅くまで酒を酌み交わした。役者の彼の高校(京都商業)時代の21:1、50:3の喧嘩話や刑事さんの取り調べの話はとても興味深かった。役者や落語家は1人のお客さんをじっと見つめて話すそう。渋谷のジャンジャンでの公演を観に行く事を約束。

翌日は故宮、天安門観光の後、広州経由でシドニーへ。12月28日11:00シドニー着。飛行機が着陸すると拍手が起こる(嫌な予感。これが後に的中)。

シドニーの空港へ、草加南高校でAETをやっていたイアンさんが迎えに来てくれた。会ってすぐ、「僕は明後日から日本に遊びに行くから、今日、明日と、市内を車で案内する。明後日からは僕のアパートで好きにして」と言われた。イアンさん宅へ荷物を置いた後、ハーバー・ブリッジの見学のため、バスでcityへ。夜は彼の友人夫婦と女性の友人が来てくれてパーティー。我々がソファに座っている女性陣2人と会話をしている間、男性陣2人がキッチンで食事を作る。今では日本でも当たり前だが、当時の日本ではあまり見かけない風景。大手の会社に就職した大学の友人の女子が「英語、忘れたわよ。だってお茶汲みしかしてないもん」と言っていた。私の初任の学校で、女性の先生が職員室の流しを掃除していたら、お局様に「なんであなたがやってるの?女だから?」と叱られていた。日本はまだそんな時代だった。

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