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サッカー指導者として飛躍(浦和市立高校)時代33


堀之内聖が3年生になり、関東大会予選、インターハイ予選ともに堀之内は強行出場したが結果は伴わなかった。そして、選手権予選、決勝まで駒を進めたが、残念ながら浦和東に負け、準優勝に終わった。浦和レッズがACLで優勝した年に、その年の3年生が結婚し、私も式に出席した。披露宴の途中、司会者が「浦和レッズの堀之内選手から新郎新婦にACLの決勝で着ていらしたユニフォームのプレゼント」とコメントしたのを聞いて愕然とした。私は新郎に「どう考えてもそれをもらうのは俺だろ」と言ったら、彼は「先生、先生は将来、青いユニフォームをもらってください」と言われ納得してしまった。ちなみに、そのユニフォームはどこにしまったか忘れてしまったらしい(^^;;

堀之内の2つ下の代は、個性派が多かった。私が送り出した最後の市高サッカー部卒業生の代だ。Jリーガーを経て電通サッカー事業部で働いている男、バルセロナ在住でFIFA(国際サッカー連盟)でアーセン・ベンゲル氏の下で働いている男、日本サッカー協会審判部で働きながらJリーグで審判をしている男、大使館で働いている男、靴職人と多士済々である。彼らのうち2人は、息子さんがJ下部のJr.ユースに所属している。さらにその2つ下(私が1年だけサッカー指導した代)のキャプテンの息子さんはレッズジュニア所属である。

この代のある生徒と遠征先で言い合いになったことがある。「先生、うちの学校は審判に文句を言わないから損をしてます。〇〇高校みたいに審判に文句を言うと、特に若い先生は文句を言うチームに有利な笛を吹く。だから僕らももっと言いましょう」と言われ「お前と俺の考えは合わないな。勝てないならもっと上手くなればいいと俺は考える。ズルしなければ勝てないなら負ければいい」と言ったところで、後にJリーガーになった男が「2人ともチームのことを思って言っているので」と仲裁に入った。その後、彼らの代からコメント入りのユニフォームをプレゼントされたが、私と言い合いをした男は「先生に教わっていた時が1番サッカーが楽しかった。先生に認めらた時が1番嬉しかった。本当にありがとう!」と書いてくれた。彼のこのコメントは、その後の私の指導者人生に影響を与えた。

不思議なことに卒業式で涙を流すことはほぼなかった私だが、彼らの卒業式には、いろいろ思い出して泣いてしまった。お互い熱かった。

彼ら教え子とは、今でも時々会って刺激を受けている。

彼らが卒業した直後に、私は6年間お世話になった浦和市立高校を後にした、どうしても監督がしたかったので、当時、体育のサッカー部顧問のいない上尾高校への異動を希望し、希望が叶って2000年春、上尾高校に赴任した。

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