堀之内聖と私17
堀之内がレッズに入団して2シーズン目の春、知り合いのレッズのスタッフの方から「ホリ、アウェイの帯同メンバーに選ばれましたよ。まずはここに入るのが大事なんです」と電話があった。
それからしばらくして、レッズの試合観戦に行き、大型スクリーンに堀之内聖の顔が映し出されたときは、涙が出た。また、残り数分だけ彼が出場したときに、タッチライン外に背番号29(デビュー当時は29で、その後20になった)が見えたときはソワソワしたのを覚えている。そのときに隣で観戦していた見知らぬ人が「誰、あの29番?」と言っていたのは忘れられない。
1シーズン目に全く公式戦に出場できなかった堀之内が、2シーズン目から少しずつ試合に出られるようになったのは、当時、サテライト(今はなくなったが、2軍チームのこと。サテライトのリーグ戦もあった)の監督をされていた柱谷哲二コーチの存在が大きいと思う。私がよく覚えているエピソードは、トップ対サテライトのトレーニングマッチが行われた際、当時、ボランチでスタメン出場できなかった堀之内は、センターバックでプレーしたいと申し出て、その試合でセンターバックとして、引いて守って、トップの強烈なFW(ツット、エメルソン、田中達也)を相手に無失点に抑え、アピールしようとしたそう。それに対し柱谷コーチは「目の前のこの試合だけ抑えればいいのか?あの強烈なFWを相手にビビらず高いラインを保って守れなければ、未来はないぞ」とダメ出しをされたそう。柱谷コーチが的確なアドバイスをし、それを素直に堀之内が聞き入れたため、クレバーなラインコントロールをするセンターバック堀之内が誕生したのだと思う。
出会いは大切だ。でも、その出会いを引き寄せる努力をしていたことを神様は見逃さなかったのだと思う。