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堀之内聖と私①
現在、浦和レッズスポーツダイレクターの堀之内聖氏がと私が出会ってから30年が経とうとしている。彼がどんなサッカー人生を辿って現在に至るか記したい。
初めての出会いは1995年の春休み、まだ入学式の前のこと。約10名の新入生が、当時私が勤務していた浦和市立高校(今はさいたま市立浦和高校。当時は浦和市立高校)サッカー部の練習に参加した後に、当時の3年生の1人が新入生を集めて自己紹介するよう促した。堀之内と同じ浦和市立(現在はさいたま市立)三室中から来た新入生の1人が「僕はこの高校で全国優勝するために来ました」と挨拶をし、すごい新入生が来たと思った。そのときに堀之内が何を話したかは全く覚えていない。どちらかというと大人しくて目立たない存在だったので。
ところが、入学式が終わりすぐの4月11日の関東大会予選のホームで行われた1回戦vs杉戸高校の試合に、まだ仮入部の堀之内少年がセンターバックとしてスタメンで出場した(おそらく先輩の名前を知らない状態だった)。まさかの敗退。
その後のインターハイ予選では大宮東高校に大敗し、中心選手だった3年生が引退したため、選手権予選では1年生5名くらいがメンバー入りした。私は、メンバー入りできなかった1年生5名を連れて夏休みにブラジルに行った。老舗(しにせ)4校会といって、Jリーグのオリジナル10ではないが、伝統ある浦和の高校サッカー部を復活させるため、県立浦和、浦和市立、浦和南、浦和西から選ばれた24名と共に、当時、監督ではなく時間があると思われていた私が引率(飛行機の乗り換えの手続きもやり、まるでツアーコンダクター)し、36時間かけてブラジルサンパウロ州に向かった(堀之内は1年生ながら活躍していたので選手権予選に備えた練習や試合を優先するため、ブラジルに行かせてもらえなかった。あの時一緒に行っていたら、賢く学習能力の高い彼の未来は変わっていたろう)。