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堀之内聖と私12

関東選抜に呼ばれるようになると「また上手い選手から吸収して来ますよ」と堀之内は言っていた。その通り、選抜チームの練習会や試合に行くたびによりいい選手になって帰ってきた。いい選手はいい環境にいるだけで自然と成長するのだろうと感じていた。

私は私で、できることには全力で取り組もうと思っていた。1997年から1999年まで、福島県J-villageで11月末に行われていたナショナルトレーニングセンター(阿部勇樹選手、田中達也選手、佐藤寿人選手らがいた)に毎年通っては、トレーニングをビデオで10数時間撮影し、それを2時間ほどに編集(まだパソコンで映像編集する時代ではなかったが、浦和市立高校放送部には、とても優れた編集機器があり、それを使わせてもらった)し、堀之内に会った時に「日本サッカー協会の指導指針がこのビデオに収められている」と言って渡していた。

大学のリーグ戦で活躍し、関東選抜でも存在感を増していった堀之内は、順調に成長し、3年生の時にチャンスが巡ってきた。恩師で学芸大サッカー部の部長の瀧井先生が全日本大学選抜の監督に就任したのだ(運命を感じた)。

全日本大学選抜はツーロン国際大会に参加したが、その前に、佐藤寿人らの出場していたU-20代表に1-0で勝利した。同じ大会で、大宮サッカー場ではU-20パラグアイ代表とU-20イタリア代表が試合をしていた。私はたまたまスタンドで瀧井先生の隣で試合観戦する幸運に恵まれた。『ワールドサッカーの戦術』の著者の瀧井敏郎先生の解説をお聞きしながらの観戦は至福の時だった。私は瀧井先生に「先生、堀之内はプロになれると思いますか?」と聞いてみた。瀧井先生は「藤倉(堀之内の1学年下で、現在、帝京高校サッカー部監督。怪我が多くその後あまり活躍しなかったが、明らかに堀之内より上手かった)と比べてキックの種類が少なすぎますね。あと、性格の良さが災いして故意にファールができない。だから厳しいと思います」と話された。私は内心「ブッフバルトも故意にファールしてないけど活躍してますけど」と思った(^^;;

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