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堀之内聖と私⑦

筑波大学の推薦入試で不合格になった堀之内聖だが、筑波大学に受かると信じて疑わなかったので、彼も周囲もまるで他の選択肢を準備していなかった。12月初めに不合格が分かって、私は浦和市立高校の先生方に「10年に1人の人材を私立に行かせるのか!」とお叱りを受けた。そして、職員室の外のベランダに堀之内を呼び出し「関東大学リーグ2部の東京学芸大学(柔道の角田夏実選手の母校として今は知られていると思う)という国立大学を知っている?」と彼に質問したら、予想通り「知りません」という答えが返ってきた。私は「膝の怪我をした時にお見舞いに持って行った『ワールドサッカーの戦術』の著者がサッカー部の監督をされているので、行けば勉強になると思う。今は2部の門番と言われているけど、ホリが行って1部に上げれば」と話したら「分かりました。一般受験で学芸大を受けます」と即答した。

私は東京学芸大サッカー部の瀧井教授の研究室の電話番号を学芸大サッカー部OBの親友から教えてもらい3回電話をした。「堀之内という生徒が受験しますのでよろしくお願いします。」毎回同じことをお願いした。瀧井先生からの返答は「うちの大学はサッカーで入れる大学ではありませんから、とにかくセンター試験で点数を取らせて下さい」だけだった。私はとにかく「ホリノウチ」という言葉の印象を残すだけでもいいと思って必死だった。

12月初めからセンター試験まで1ヶ月ちょっとしか時間がない状況で、しかも彼は評定平均は学年トップだったが、模試では学年で中位だった。しかし、冬休み明けに彼は「先生、だんだんセンターの問題を解くコツがわかってきました」と頼もしいコメントをするまでになっていた。センター試験の点数は77%だった。筑波大学のOBの先生方が「77%なら筑波に受かるから筑波を受けさせろ」と私に進言してきた。そのことを彼に伝えると「向こうが要らないと言っているのですから、僕は学芸大に行って筑波を倒します」と宣言をした。私は内心「コイツ、カッコいい」と思った。

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